インフルエンザの予防接種をしてからどうも身体がおかしい。
因果関係があるかどうかわからないがだるさが続く。
そしてこれは関係ないだろうけど腰痛が始まってしまった。
立てない歩けないくしゃみをしても痛い、というものではない。
腰痛が始まった時にすぐに半日横になっていたのがよかったのか。
用心しながら普通に生活して1回30分程ではあるが散歩もしている。
でも大事を取らなければならない。
先週末の10月24日25日よも素晴らしく天気がよろしかった。
絶好の山日和ではあるが我慢して家で横になって読書をしていた。
愛読書である田部重治の「わが山旅五十年」を読み直す。
ひと月前に金峰山に登ったので田部がどのルートで登ったか再確認したかった。
田部が木暮理太郎と金峰山に登ったのは明治42年だ。
秩父鉄道の終点が波久礼でそこから歩き出す。
現在は秩父市域の栃本に宿泊、翌日は十文字峠泊。
十文字峠では梓山の床屋だという人と会話している。
長野県の梓山から秩父の落合に行って床屋を開くのだと。
十文字峠は今では登山の対象だけれど昔は秩父と川上を結ぶ重要な峠だったのだ。
そしてこのとき三宝山を経て甲武信岳を試みるが尾根が密林に覆われていて断念。
翌日猟師の案内人を雇って梓山から甲武信岳を往復。
金峰山には川端下まで行ってそこから登山。
金峰山山頂は悪天で景色に恵まれずすぐに黒平方面へ下る。
五丈岩の南面には権現堂があったらしいが火事で焼失したとある。
下って行くと御室小屋があるのだがそれも焼けてなかったようだ。
田部と木暮は黒平まで行って鉱泉に入って宿泊。
翌日昇仙峡へでて甲府へ、というコースだった。
自分の初めての金峰山は45年前。
富士見平から瑞牆山アタックの後に金峰の小屋に一泊。
翌日山頂を経て黒平、昇仙峡と経て甲府へ出たので下りは田部コースと同じだ。
自分たちのときは御室小屋が健在でそこで朝食を摂った記憶がある。
小屋と言っても東屋程度のものだったけれど当時の概念ではそれで立派な小屋だった。
金峰山は深田久弥の100名山のひとつだ。
ついでに深田がどのコースで金峰山に登ったかも確認してみた。
深田のこの著書に金峰山の項は木暮理太郎の引用文ばかりが記憶にある。
あるいは金峰山のうんちくとかで深田がどのコースで登ったか覚えていない。
それで確認のために読んだのだが深田は黒平から登っているのだった。
というのも金峰山は別名「甲州御岳山」で信仰の山。
その表参道が黒平からだから、なのだそうである。
ひと月前に金峰山を登った時にTanmaさんが表参道から登りたいと言っていた。
なるほどなあ、なのだけれど下った経験から思うとあれを登るの大変だあ。
因みに黒平は「くろだいら」ではなく「くろべら」です。
45年前、友人とこの道を歩いたときに自分は「くろだいら」と言っていた。
それを友人は何回も「くろべらだよっ!」って訂正したのでした。
因果関係があるかどうかわからないがだるさが続く。
そしてこれは関係ないだろうけど腰痛が始まってしまった。
立てない歩けないくしゃみをしても痛い、というものではない。
腰痛が始まった時にすぐに半日横になっていたのがよかったのか。
用心しながら普通に生活して1回30分程ではあるが散歩もしている。
でも大事を取らなければならない。
先週末の10月24日25日よも素晴らしく天気がよろしかった。
絶好の山日和ではあるが我慢して家で横になって読書をしていた。
愛読書である田部重治の「わが山旅五十年」を読み直す。
ひと月前に金峰山に登ったので田部がどのルートで登ったか再確認したかった。
田部が木暮理太郎と金峰山に登ったのは明治42年だ。
秩父鉄道の終点が波久礼でそこから歩き出す。
現在は秩父市域の栃本に宿泊、翌日は十文字峠泊。
十文字峠では梓山の床屋だという人と会話している。
長野県の梓山から秩父の落合に行って床屋を開くのだと。
十文字峠は今では登山の対象だけれど昔は秩父と川上を結ぶ重要な峠だったのだ。
そしてこのとき三宝山を経て甲武信岳を試みるが尾根が密林に覆われていて断念。
翌日猟師の案内人を雇って梓山から甲武信岳を往復。
金峰山には川端下まで行ってそこから登山。
金峰山山頂は悪天で景色に恵まれずすぐに黒平方面へ下る。
五丈岩の南面には権現堂があったらしいが火事で焼失したとある。
下って行くと御室小屋があるのだがそれも焼けてなかったようだ。
田部と木暮は黒平まで行って鉱泉に入って宿泊。
翌日昇仙峡へでて甲府へ、というコースだった。
自分の初めての金峰山は45年前。
富士見平から瑞牆山アタックの後に金峰の小屋に一泊。
翌日山頂を経て黒平、昇仙峡と経て甲府へ出たので下りは田部コースと同じだ。
自分たちのときは御室小屋が健在でそこで朝食を摂った記憶がある。
小屋と言っても東屋程度のものだったけれど当時の概念ではそれで立派な小屋だった。
金峰山は深田久弥の100名山のひとつだ。
ついでに深田がどのコースで金峰山に登ったかも確認してみた。
深田のこの著書に金峰山の項は木暮理太郎の引用文ばかりが記憶にある。
あるいは金峰山のうんちくとかで深田がどのコースで登ったか覚えていない。
それで確認のために読んだのだが深田は黒平から登っているのだった。
というのも金峰山は別名「甲州御岳山」で信仰の山。
その表参道が黒平からだから、なのだそうである。
ひと月前に金峰山を登った時にTanmaさんが表参道から登りたいと言っていた。
なるほどなあ、なのだけれど下った経験から思うとあれを登るの大変だあ。
因みに黒平は「くろだいら」ではなく「くろべら」です。
45年前、友人とこの道を歩いたときに自分は「くろだいら」と言っていた。
それを友人は何回も「くろべらだよっ!」って訂正したのでした。