テイザニストもろーの山歩き

山歩き歴50年、今は低山を中心に歩いています。

2019年03月

 3月17日、秩父まで福寿草の群生地を訪ねる予定だった。
 ところがその3日前から風邪気味になり、前日は微熱に微頭痛。
 でもこれぐらいなら山ぐらい歩けるだろうと思った当日未明、秩父に向けて車を走らせたがどうも調子が悪い。
 いくら暖房を利かせても寒気がおさまらない。
 頭がぼんやりして高速道路をいつものように快調に走ることが出来ない。
 さらに腹痛までしてきてこのまま車で秩父まで行くのが危険に感じてきた。
 それでもう万止む無く秩父行きを断念。
 この日は1日中寝ていたのだった。

 これがなんとも悔しくて悔しくて。
 今度の週末再挑戦しようともおもったがどうも今年の花の咲きは早くって、17日がすでに終盤に入っているということだったので諦めて、そして気を取り直して今度は丹沢はミツバ岳のミツマタを訪ねることにした。
 3月21日の春分の日でも好いかなって考えていたがこの日は生憎天気がよろしくなく、土曜日の予報も悪かったので日曜日にはとおもっていた。
 そしたら21日に夕方になってTanmaさんから連絡あり。
 「明日ミツバ岳に行きます」と。
 22日の金曜日に有給休暇を取っていて4連休にしたのそうだ。
 22日には僕にとっては平日だったのですでに予定を入れていたけれど、山友さんが近所の、それも自分が行こうとしていた山へ「来る」となると落ち着かない。
 なんとかやりくりを付けて(出来ることはやってしまう。できないことは先送りにする)「行きます、行きます」と返事してしまった。
 滝壺橋からミツバ岳、権現山を経て浅瀬入り口に至るルートだ。

 22日金曜日朝、出かけるときは少し雲のあった空だったが山北に入ると青空になって富士山も見えてきた。
 ミツバ岳登山口直近である丹沢湖畔の寺沢橋駐車場に集合、7時に出発。
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 この山はいきなりの急斜面を登ることになる。
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 人工林から自然林に出たところでTanmaさんが上を見上げている。
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 おお、もうミツマタが姿を現したのだった。
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 早速撮影開始。
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 登山口から30分も登ったところでミツマタがあちこちに見えるので、初めて来た人はもうここが群生地かとおもうかもしれない。
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 ミツマタの花と青空と暖かな気温とそしてあちらこちらから聞こえてくる小鳥のさえずりで、そうそうウグイスの声も聞こえてきて、春爛漫を満喫。
 
 さらに登ると自然林の先に杉林が見えて来ると頂上はもうすぐ。
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 そして頂上付近のミツマタの群生地に到達。
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富士山とのコラボも。
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 8時30分に頂上付近のミツマタ群生地に到着して写真を撮るなどして1時間15分を過ごして、9時45分に出発、権現山を目指します。


 ミツバ岳と権現山の鞍部でも行く手の林の中に黄色の帯が。
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 近づいて行くとここにも群生地があって甘い香りを放っていた。
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 が楽しいミツマタ鑑賞の後にはきっつい登りが。
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 今日は暖かくってなんだか4月下旬のような気候で、この登りで充分に汗をかいてしまった。

 ひーこら言いつつ権現山着10時40分。
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 ここでお昼ご飯。
 この日は休みと休みの間の平日で、だから完全な平日とは言えず幾組かの登山者がいたもののそれでもとっても静かで穏やかで、実に好い山歩き日。
 ここでは25分休んで11時5分頂上発。
 下山口である丹沢湖畔の「浅瀬入り口・永歳橋」を目指します。
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 この道のあちこちにタチツボスミレとフデリンドウが咲いていました。
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 途中でこのコース最後のミツマタの群生。
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 さらに痩せた尾根を下る。
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 やがて自動車道路が見えて来るとこのコースもゴールに。
 12時27分着。
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 ここからは自動車道路を歩いて寺沢橋の駐車場に戻ります。
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 駐車場には12時54分着。
 急遽訪れることになったミツバ岳だったけど花の咲きはもちろん申し分なく、天気が良くって富士山が見えて、そして暖かくって(登ってると暑いぐらいだった)そのうえ静かで3週間ぶりの山歩きを満喫しました。

 翌土曜日は1日中の雨、しかも寒かったので山は雪だろうことが想像できた。
 そして日曜日朝、箱根の明神ヶ岳はかなり下の方まで雪で白くなっていた。
 ということは、ミツバ岳のミツマタもこの日に行ったなら午前中は雪が被っていただろう。
 だから22日の平日に行けたのはとてもラッキーだった。
 「突然」のTanmaさんからの連絡だったけど応じて本当によかった。
 Tanmaさんに感謝です。
 でも3週間ぶりの山歩き、正味4時間半にも満たない歩きだったけど偉く疲れた。
 やっぱり歳のせいもあって週を開けるとダメだなあ。

 とここまで書いてきて(正しくは打ってきてだけど)、ああこのyahooブログも12月で終わってしまうのだなあ、とおもうとさびしい。
 もちろん移動可能になるようだけど移動先のブログに馴染めるかどうか。
 でも頑張るしかないですね。

 今朝起きたら内田裕也の他界がyahooニュースに載っていた。
 なんか虚脱状態になってしまった。
 別に彼のファンじゃないのだけれどね。
 ひとつの時代、それは僕の時代でもあるかもしれない。
 それが終わったみたいでね。

 僕は若い時に内田裕也のステージを2回見ている。
 ひとつは「内田裕也とフラワーズ」、もうひとつには「内田裕也とフラワー
トラベリング・バンド」。
 前者のヴォーカルが麻生レミ、後者のヴォーカルがジョー山中。
 どちらも内田裕也は歌ってないんだよね。
  
 彼の歌うのって印象的なのはBlue Suede shose。
 これだけんなんだよ。

 でもそれでも彼の印象とか存在とかが凄く大きいの。
 ロックのあるところ彼がいるって感じかな。
 だから…
 彼がいなくなるのがとても寂しい。

  で彼の名曲ってこれだとおもう。

 ロック・ミュージックを愛するみなさん、彼の遺志を継いで「ロックン・ロール」って言い続けようね。

 大持、小持、武甲山を、鳥首峠から橋立口まで脛までもぐる雪の道をツボ足で歩いたのは45年ぐらい前の3月2日前後だった(多分)。
 だからそれを記念して一の鳥居から武甲山、小持・大持を周回しようかとおもった(大持・小持・武甲山の逆は歩いたことがないし)。
 でも今年は雪がないという。
 この季節に秩父まで行って雪がないというのも寂しい。
 じゃあどうするかとおもって考えていたら「日和田山」が浮かんだ。
 いつか再訪したいとおもっていた山だ。
 
 最後に行ったのは20年ほど前、さらにその先の高指山、物見山方面だとそれこそ45年ぐらい前のことになる。
 ユガテにも再訪したいしスカリ山は未踏だ。
 好い機会なのでここに決めた。
 この辺りは行程が短いので他の用事も組み込むこともできる。
 で7時30分から歩きだして日和田山、高指山、物見山、スカリ山を経由してユガテに出て、そして東吾野駅に下山、電車で高麗駅へ。
 高麗駅から登山口駐車場まで歩いて到着が12時30分という計画を立てた。
 ところが意外にも6時15分に登山口駐車場に着いてしまった。
 それで予定より1時間早く6時30分に300円の有料駐車場を出発。
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 しかしこの界隈でもう20年前とは大きく変わっていた。
 そもそも有料の駐車場がなかった。
 それからこんな瀟洒な林間の公園でもなかった。
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 15分も歩くと鳥居に出た。
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 よく憶えていない。
 ここが男坂と女坂の分岐だった。
 もちろん男坂を行く。
 20年前までも登りは男坂しか使ったことがなかった。
 
 45年前のガイドブックによれば男坂には3つの滝があるとの記述があるのだが記憶にもないし今回もそれを見出すことはできなかった。
 男坂は伊豆ヶ岳同様に岩なのだが取りつくとすでに景色が開けたような気がするのだが木々の中だった。
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 登って行くと岩を巻いて行く道に気が付いたが当時はそれはなかったとおもう。
 そしてこの岩を乗り越えると鳥居が出てくるはずだ。
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 とやはり鳥居があった。
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 そしてここからの眺めが好い。
 眼下の巾着田。イメージ 7

 春はレンゲの花でピンクに見えたものだけど今は田んぼがないんだもんなあ。
 
 富士山と大岳山、気温のせいかはたまたもしかしたら花粉のせいか霞んで見えていた、残念。
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 多峯主山と天覧山。
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 関東平野は山頂から眺めることにした。
 
 山頂着が7時8分だから登山口から38分。
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 当然ながら山頂の木々も伸びていて視界が狭くなっていた。
 でも関東平野が大きく見渡せることには間違いない。
 でもこの日は平野部も霞んでいた。
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 もうずーっと以前に、金子兜太とドナルド・キーンが奥武蔵の山上で関東平野を眺めながらの対談ってのをテレビでやってたけど、おふたりとも相次いで故人になってしまったなあ。
 
 日和田山を後にして物見山を目指す。
 いよいよ45年ぶりの道に踏み出す。
 がアスファルトかコンクリートで固めたのか綺麗な道になっていた。
 20分もせずに高指山。
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 電波塔があるからには景色が好いはずだ。
 とおもってその方向へ歩み出したが道路がロープで塞がれていた。
 それで諦めて物見山を目指す。
 ここからは舗装された林道になった。
 そして民家が見えてきた。
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 舗装道路も民家も全く記憶がない。
 民家は当時からあったのかも知れないが道路は…
 当時の地図だがこの辺の自動車道路はというと中野の集落へ行く1本しかない。
 黒線の道が車が通れるようなそれこそホントに林道だったのかもしれない。
 物見山の手前に駒高の文字が見えるがそれがこの集落だったのだろう。
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 舗装道路から分岐して山道を登ると物見山だった。
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 名前からして景色の好さそうな山だが残念ながら木々に覆われていて景色はない。
 しかし昔はこの辺一帯はずっといわゆるはげ山だったとおもう。
 そこが植林されて何十年も経って林間の道になってしまった。
 
 その林間に平野部に向かう道があったのでもしや景色がとおもって行ったみたが三角点があるだけだった。
 そして寒い、風が冷たい。
 北風に林が揺れてざわざわと音を立てている。
 でもこんな奥武蔵が好きだ。

 物見山を下りるとヤセオネ峠で宿谷の滝の分岐。
 この滝への道も「はげ山」で見晴らしが良くって、そして宿谷の滝はこじんまりとしていて低山の中にある滝としては好ましい存在だがそこまで行くと鎌北湖まで出てまた戻って来なくてはならないので今日は割愛。
 大体ヤマプラの地図を見ると今は自動車道路が出来ていて「宿谷の滝公園」なんて記されている。
 しかし昔は歩いたんだよなあ。

 小瀬名分岐を過ぎてしばらく歩くとまた自動車が通れるような道に出て、下方の民家が見えた。
 どうも奥武蔵は「ポツンの一軒家」の宝庫みたいだ。
 そしてその道路の切通しの見事なこと。
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 いったん自動車道路に出て今度は北向き地蔵への山道。
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 それを登って下ると北向き地蔵だった。
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 現在は自動車道路を背にしているが45年前は山道の中にあっただけだった、と記憶する。
 ここへはおそらく鎌北湖から来ているはずだ。
 そしてユガテへと向かったんだろうともう。
 なにしろ当時の地図にはスカリ山への道が記されていないのだから。

 でスカリ山へは舗装道路を歩くことになった。
 自転車へオートバイが走り抜けて行く。
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 やがて「登山口」。
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 登り始めるとまず観音岳があって(景色良し)、そして次にスカリ山だった 
 直下の登り。
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 そして頂上。8時47分着。日和田山登山口から約2時間15分。
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 堂平山。
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 2月の初めに歩いた丸山方面の尾根。
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 そして武甲山。
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 いずれも霞んでいた。

 山頂で軽く食事をしたが相変わらず風が冷たかったので10分ほどの休憩で早々に切り上げる。
 今日は暖かいはずなのだけど奥武蔵を渡る風はまだ冷たいのだろうか。

 下ってエビガ坂の分岐まではすぐだった。
 ここで日和田山を出てから初めて登山者に行き合った。
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 そしてエビガ坂から10分でユガテ。9時20分。
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 ここに初めて来たときはまだ雪が残っていたと記憶している。
 そもそも(当時は自動車道路がなかったので)山中に民家が出現したことに驚いたけれど、記憶ではところどころに雪が残っているのに梅の花があちこちに咲いていたのもビックリだった。
 ここは桃源郷かとおもったほどだった。

 そして今回も梅の花があちらこちらに見事に咲いていたのだった。
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 今回はエビガ坂から、つまり上の方からの到着だったが45年前は水平に歩いていての到着だった。
 だから北向き地蔵から来たのだってわかるのだ。

 ユガテを後にして東吾野駅に向かう。
 途中の橋本山というのが景色が好い。
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 子の権現が目の前だ。
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 そして霞んでいるのが残念だが伊豆ヶ岳から武川岳から大持・小持から武甲山まで。
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 橋本と聞いて江戸川橋の鰻屋を思い出してしまった。
 それから木へんに喬だけどこれが公ならもっといいのにともおもった。

 ところで東吾野駅の時刻表では飯能行きが毎時15分と43分だったと記憶していた。
 これから急げば10時15分の電車に乗れるのではないか。
 丁度15分に下りて行って電車が出てしまうと30分近く待たなくてはならない。
 でここからけっこう急いだ。
 眼下に自動車道路が見えて来てもう東吾野駅に近い。
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 それでさらに急いで東吾野駅のホームが見えてきて10時3分楽勝だあ、っておもった喜んだのに何故か電車が停車している。
 しかも構内アナウンスが聞こえてきて「飯能行き発車します」なんて言ってる。
 あれれと思っているうちに電車が行ってしまった。
 駅の時刻表を見たら何故か10時台は3分の発車、次が10時39分なのだった。
 
 とりあえず東吾野駅着10時5分だから3時間35分歩いたことになる。
 
 30分待って電車に乗って高麗駅へ。
 駅前の像(でいいのかな)。
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 昔はこの像のミニチュアがあって高麗のお土産だったなあ。
 駅からまた歩いて日和田山登山口へ。
 途中から見た日和田山。
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 305mの超低山だけど好い山だ。

 11時10分駐車場着で予定よりも1時間以上早かった。
 でもおかげで次の目的も余裕があってそして早く帰宅で来た。
 低山の短い行程の歩きだったけど楽しかった。
 またこの辺りを歩きたいとおもった。

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