テイザニストもろーの山歩き

山歩き歴50年、今は低山を中心に歩いています。

2018年12月

 2018年最後の山は仏果山・半原高取山。
 これはシモバシラの偵察のため。
 結果、寒波の先端がまだ神奈川県の山にには届いていなかったのか(愛川町の朝6時30分の気温が0度)シモバシラの乱舞を見ることはできなかった。

 群生地はこんな様子だった。
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 おまけに駐車しようとおもっていた「愛川ふれあいの村」が年末年始の休みに入っていて駐車場も封鎖されていた。

 こうちさん情報ではこの駐車場は午前6時からだということだったので7時前に着いたけどゲートが閉まっていた。
 ならばと第1駐車場に回ってみたがこちらも閉まっていた。
 人影もなくおかしいとおもってネット調べたら12月28日から1月4日まで休業だった。

 それで道路のかなり広い、そして作業等の邪魔にもならないだろうとおもえるところへ路上駐車で7時に出発。

 林道上からの関東方面の景色。
 スカイツリー。
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 そして筑波山。
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 シモバシラは群生地は全然ダメだったが仏果山への登山道の路傍にぼつぼつと見ることが出来た。
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 しかしまだ氷が育ってなくってこれが一番大きかったかな。
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 仏果山山頂が近づいてきたところでまたシモバシラがあちこちに。
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 そしていくつかのシモバシラを追っていたら藪の中に小群生地を発見。
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 もっとしっかりと見るために藪の中に進もうとしたが茨の枝をつかんで「いててててて」になって根性なしなので目視で終了。
 山頂はもうすぐ。
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 もうすっかり馴染になった山頂の展望台。
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 今日はもろ天気が好いので展望も素晴らしい。
 もう1度東京方面。
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 経ヶ岳に隠れてしまうが相模湾方面。
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 目の前の大山。
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 丹沢主脈方面。
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 奥秩父雲取山方面。
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 大岳を中心とした奥多摩。
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 再び関東平野の向こうに筑波山。
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 展望台の上で風に吹かれて写真撮影していたらさすがに寒くなって半原高取山に向けて山頂を出発。
 仏果山~高取山の間の藪の中にもシモバシラの小さな群落を発見。
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 でも下まで降りるのがどうもなあという気分で目視確認。
 それに単独でもし藪の中ですッ転んで打ちどころが悪くってそのまんまなんてことになると発見されなくなっちゃうんじゃないか。

 半原高取山山頂。
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 ここにも展望台があるけれど仏果山で360度の景色を見たので割愛。
 ただ山頂からの関東方面の景色は相変わらずよかった。
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 そして高取山直下でもシモバシラを散見。
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 ここも藪の中へ入ればまだまだ多くのシモバシラを観察できたようだが今日は道端ので良しとする。
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 どんどん下って行くと落ち葉と木漏れ日の好い山道。
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 そしてふれあいの村と大橋との分岐。
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 ふれあいの村方面を行くとホントにふれあいの村の敷地に入っちゃって、野外活動をしてる人なんかもいておもしろいのだけれど、今日は休みということなので大橋方面へ。
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 これで今年最後の山歩き終了。
 
 シモバシラは神奈川県を寒波が覆って、それが2回ぐらいになると見頃かな。
 ということは1月中旬だろうか。
 その頃には今日発見した小群生地もより育っているだろう。
 来月が楽しみ。

 それにしてもシモバシラはいまひとつだったが仏果山・高取山は年末の静かな好い山でした。

 正月休みを利用してみんなで上高地に行ったのは1985年頃だったとおもいます。
 夜行列車で松本へ、松本からタクシーで沢渡まで行きました。
 車が入れたのはそこまででその後は歩きです。

 多分この写真は出発前の沢渡だとおもいます。
 真ん中で腕を組んで赤と青が私です。
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 釜トンネルまではラッセルも少ない自動車道路を歩き、しかし釜トンネルは当時は掘りっぱなしの洞窟のような一方通行の狭いトンネルで、冬は扉が閉まっていました。
 上高地に行くにはこの扉を開けて中に入ったのですが中は真っ暗。
 ヘッドランプの灯りを頼りに登り勾配の道を歩いて行きました。
 そして上高地側の扉を開けると「外」は吹雪。
 そんな中をさらに進んで上高地着。

 こんなテントだったんだなあ。
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 このテントをベースに2泊だったか3泊だったかして、明神池やら岳沢下やら横尾方面やらいろいろと探訪しました。
 天気はコロコロ変わって晴だったり吹雪だったりしたとおもいます。
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 これは焼岳かな。
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 これは穂高でしょうね。
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 因みにこの仲間の半分は冬穂高の登頂者でした。
 もちろん私は違います。
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 今記憶にあるのはこんなところでしかありません。
 そうそう、このとき穂高の尾根や横尾谷などで大規模ななだれがあって遭難者が多数出て、ヘリコプターが頻繁に離着陸していたのを憶えています。

 それ以外は静かだった上高地。
 再訪したいけど冬のテント生活はもうチトきついですね。
 

 12月2日に乙女峠から金時山・明神・明星・塔の峰・塔ノ沢と歩いた。
 素敵な仲間と好い景色と紅葉とで楽しい山行だった。
 ただひとつ、晴れの予報だったのがなんと曇りになって肝心の富士山が見えなかったのだった。
 それでこの山行の企画者であるひらさんから12月23日の再訪の誘いがあって、それは金時山~明星ヶ岳の縦走だったが何回歩いても悪くない箱根の山なので参加しようとおもった。
 が待てよ、ここですぐでの参加表明してしまうと天気の方がウヒョウヒョと手ぐすねを引いて待っているかもしれない。
 つまり自分が行くことでまた雲が出てくる恐れがあったのだ。
 それで天気の方を油断させるためにすぐには参加表明しなかった。
 すると見よ、前日9時現在の箱根方面の天気予報。
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 朝早く登るのだから10時まで晴れてりゃ文句ない。
 もしかしたらその後も晴れる可能性だってあるじゃないか。

 が、ややややや。
 朝4時の段階で夜空に星はなく漆黒の雲に覆われていた。
 でもしかしこれから晴れる可能性だってある。
 そんな期待で集合場所の金時神社へ。

 今回の参加は長野からはこの山行の先達であるひらさん、ITOさん、秩父隊のおっくんさん、でこちゃん、そして私の5人。
 5時20分に金時神社駐車場を出発。
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 このとき月も雲間から顔を出してこの先の天気が良くなることを暗示してくれたのだった。

 この日は金時神社コースなのでまずはお参り。
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 暗闇に向かって山道を出発。
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 奥の院にもお参り。
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 闇の中を登って6時40分に矢倉峠との分岐着。
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 景色が開ける。
 そして相模湾方面が朝日で赤くなっている。
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 もうこりゃあ天気はいい方向でしかないじゃないか。


 ところで自分は季節の変わり目に肋間神経痛が発生する。
 狭心症とか心筋梗塞が疑われるのだが(不整脈ではある)症状を調べるとどうも違うようだ。
 で、このところ神経痛が発生しているのだがこの登りで出てしまった。
 (この後痛み止めを呑んで痛みが治まった)
 だからどんどん遅れて行ってしまう。
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 振り返れば駒ケ岳も大涌谷もくっきりなんだけど。
 先頭はもう先に行ってしまって山頂に着いてるかもしれない。
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 多分みなさんより5分くらい遅れて7時5分に山頂着。
 もうひらさんが岩の上に立っている。
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 岩の上だけどビートルズの「day after day~♪」なんて曲を思い出してしまう。
 そして富士山。
 ああ何だか見えそうではないか。
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 しかし待っても待ってもよくならず、どころか雨さえ降ってきた。
 それで記念撮影して山頂を後にすることになった。
 記念撮影じゃないけど「ド~ラエモン♪」
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 山頂では40分ほど過ごしたのだろうか、雨がけっこう降ってきた。
 で明星ヶ岳への縦走は断念、3週間前に登った乙女峠への道を今度は下るこになった。雨だから自分もフードをかぶる。
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 辺りはガスに包まれ始めた。
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 長尾山の山頂。
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 この風景、雨だよねえ。
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 乙女峠も雨に煙っていた。
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 といいうわけでこの後は乙女峠登山口、そして金時神社駐車場へ向けて下山。
 駐車場に着いたのは9時45分。
 本日はこれにて解散ということになっちゃった。
 
 まあ自分は近所だし何回登ってもその度にいろんな景色、シチュエーションがあって楽しい金時山なんだけどわざわざ遠くからいらした方にはがっかりでしょう。
 ほんとにすみません。
 このところ自分のアメフラシ・パワーが強いみたいでみなさんを落胆させてるみたいです。
 しかしいくらなんでもパワーは衰えてくるはずで、だからみなさんこれに懲りずにまたごいっしょしてくださいね。

 秩父へ行きたくなった。
 和同遺跡とか聖神社とか以前から気になっていて、そのうち行こうとおもっていたのだがこのところ俄かに注目されているようでテレビの旅番組なんかで紹介されるようになってしまった。
 日本で最初に銅が採掘された地でありそれによってこれもまた最初の通過「和同開珎」が作られることになったのだが、それにちなんでこの地が金運アップのパワースポットと認定されたからである。
 特に宝くじの当選祈願が多くって和同遺跡前にある聖神社はその願いに応えているらしい。
 このままこの評判が広まると三峰神社の白札みたいに大変なことになっちゃうかもしれない。
 それでとっとと行くことにしたのだが秩父へ行くなら山も歩きたい。
 といって長丁場だと神社に寄ることができないから簡単なところを物色した。
 しかしどうもうまいところがなくって結局「秩父路ドライブ」となった。

 聖神社には11時半着。
 しかしナビの案内がよくわからなくって入口を通り過ぎてしまった。
 そしたら丁度「臨時駐車場」というのがあった。
 がここもすでに満車に近かったので通り過ぎて正解だったろう。
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 ここから歩いて聖神社に向かう。
 ディズニーランドほどではないがこの幟旗にチョッと気分が上がる。
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 金運をご利益にするのだから当然だがあからさまに主張されるとなんだか現金な気もするが金運だから現金は大切なのだった。
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 しかし意外にも小さな神社だった。
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 すぐに本社に出てお参り。
 もちろん金運アップを節に願う。
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 絵馬は宝くじ当選成就願いが圧倒的に多い。
 もちろん商売繁盛もあった。
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 お参りの後には和同遺跡に向かってみる。
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 振り向けば両神山。
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 ずっと舗装道路を歩くのかと思いきや、ほんの5分程だが山道も歩く。
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 そして、おお、これが「和同開珎」のモニュメントか。
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 そしてこの傍らを流れる沢で銭洗いすると金運アップにつながるとか。
 僕は神奈川県に転居してから正月には鎌倉に行くことが多くって、銭洗い弁天にも何回か行ってるが金アップしたという実感はない。
 だからこの沢でもそんなものだろうともうものの、でもやっぱり一応儀式としてやってみようと思ったが小銭がない。
 それで千円札を浮かべてみた。
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 金アップの欲につられて銅を採掘していたという遺跡をじっくり観察することなく終わってしまった。

 聖神社を後すると秩父市内へ。
 道の駅ちちぶからの武甲山。
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 次に番場通を御花畑駅へ向かうとあれま駅名が芝桜駅になっている。
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 これはけしからん。
 初めて秩父の地図をみたときにその名前から憧憬だった「由緒正しい」駅名を歴史もなく一時でしかない「芝桜」になんぞしてしまうとは。
 とおもったら正式駅名はやはり「御花畑」だった。
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 次に西武秩父駅へ。
 新しくなった仲見世通りがどうなってるか。
 祭の湯ってどんな感じなんだろうか。

 立派な建物だが以前のような雑然とした雰囲気の方が好きだ。
 といってもこちらの頭の中が古いのだろうなあ。
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 ところで時間はお昼をとっくに過ぎてご飯にしなくっちゃならず、秩父に入る前は新蕎麦の季節だからそこは当然、とおもっていたのだけれど空腹でこれから蕎麦屋を探して移動するのも面倒くさく、フードコートで「わらじかつ丼」を食す。
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 でもおいしいものを食べたいときはやはりそれなりのお店に行かなくっちゃいけなかったんだ。

 遅いお昼の後に番場通を散歩。
 豚肉みそ漬けで人気の安田。
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 今日は食べないんだけど炭火で焼いたのがうまいんだなあ。
 わらじかつ丼じゃなくって豚肉みそ漬け丼にすればよかったとおもう。

 シーズンオフということもあって人影がまばらだ。
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 げ、猪だ。
 もちろん剥製。
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 今回はなんだかジビエ料理の看板が目立った。
 秩父はこれからジビエ料理を盛んにして行こうという作戦なのだろうか。

 番場通から秩父神社へ。
 秩父へ来たらこの神社はお参りしないとです。
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 甚五郎作のつなぎの龍
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 さらにその勢いで武甲正宗の蔵元へ。
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 この地酒はお土産店でも買えるがやっぱりここへこないといけない。
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 本醸造の武甲正宗を購入。
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 相方のリクエストで甘酒も購入。
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 それから車に戻って最後にもう1度道の駅秩父でお土産を購入。
 しゃくし菜漬け、ちちぶ餅、ゆず(安かった)、それから今回はやはり相方のリクエストで名物だという「岩魚すし」を購入。
 初めて聞く「名物」だ。
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 短い時間に秩父を楽しんだ1日。
 秩父に来て山歩きをしなかったのは忸怩たるおもいがないことはないが、でもやっぱり楽しかったな。
 これで2週間山歩きしていない。
 来週はぜひ山歩きしたいとおもってる。

愛と平和をうったえたジョン・レノンの命日が
日本軍が真珠湾を攻撃した日と同じってのが
なんとも複雑な心境になるのですが…

ジョン・レノンのライブで一番好きなのがこれ。


アルバム「アビー・ロード」が発売されたときは
2曲目の「Something」の方が
ずっといいよね、っておもってたけど
このライブ映像でその考えを改め。

ああ、ジョン・レノンのライブを見たかった。

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