テイザニストもろーの山歩き

山歩き歴50年、今は低山を中心に歩いています。

2015年06月

 御殿場市の秩父宮記念公園に行ってきました。
 秩父宮というとラグビー場が有名ですが自分にとっては「山の宮様」です。
 大好きな秩父の名前を冠してして、秩父の霧藻が峰にはレリーフも嵌め込まれています。
 マッターホルン登頂者であり、また日本の北アルプスにも足跡を残しています。
 大戦前の上高地のガイドたちへのインタビューでその様子がうかがわれます。
 その記念公園が何度も行っている御殿場にあるなんて、NOBUさんのブログで教えられるまでちっとも知りませんでした。
 それで梅雨の晴れ間に行ってきました。
 そしたらなんと無料開放日。
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 入るとすぐによく手入れされた杉林に。
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 その季節なのでいろいろな紫陽花が咲いていました。
 自分はガクアジサイが最も好きです。
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 このガクアジサイのガクは岳だとおもっていたときがありました。
 山の中で見かけるというイメージがあったからです。

 こんなユリがあるなんてちっとも知りませんでした。
 マリアッチというのだそうです。
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 園内はマリーゴールドが見頃でしたがこんな不思議な植物もありました。
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 花とか植物に造詣の深い人ですと次々といろいろな花を見つけてアップするのでしょうけれど、自分は酒屋に入って土佐鶴だの真澄だのは発見できてもどうも花や植物には弱い。
 文章から教養を感じさせるためには植物への造詣が大切だ、という文を読んだことがあるのですがどうもダメです。

 さて秩父宮の銅像です。
 登山姿です。
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 登山をしていたのは大戦前のことですがしかしこの格好、昭和50年代まで続いていました。
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 ニッカ―・ポッカというのは登山スタイルの定番だった。
 それが変化して行ったのはウエスト・コーストやらバック・パッカーやら、アメリカからのファッションが入ってきたからでしょうか。
 自分の場合は尾瀬の燧岳での経験で、けっこう早いうちにニッカ―をやめていました。
 植物の公園に行って登山の服装について考えることに。
 やっぱり「山の宮様」の公園でした。

今年も届きました。
山形のさくらんぼ。
でも最近は山梨県でもけっこう好いのが採れるんですよね。
山梨県のもいただいたことがあるけれどけっこううまかった。

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ひとつひとつ並べて箱詰めされたのと、
バラバラに入れたのとで価格が違うとか。
これはバラです。

太宰治の「桜桃」、
これがさくらんぼだと知ったのは読んだ後
けっこう時間が経ってからです。

さくらんぼというと山形県東根市を思い浮かべ、
桜桃だと東京都三鷹市を連想します。

 自分が初めて登山した山というのは北八ヶ岳の天狗岳です。
 その日は雨が降っていて頂上からの景色も何にもなかったのに、自分の足で2500メートルの高さに登ってしまったことや這松やら岩やら池やらなにやらかにやら、とにかく山っていいなあとおもってしまいました。
 でもこのときは偶然のような形で登ってしまったので、まあこれで登山は終わってしまったのかもしれない。

 ところが後に親友となったバイト先で知り合った同じ大学の学生が登山をやっていると知ったこと。そして彼の持っていた「山と渓谷」の別冊が雲ノ平を特集していたことによって登山が続くことになったのです。
 
 とにかく雲ノ平の写真にはビックリした。
 それは雲ノ平周辺の山々をも特集しているものだったけれど、水晶岳からの俯瞰写真やら逆に雲ノ平から黒部五郎や薬師岳、お花畑に雪田に黒部川の源流の写真等々、日本にもこんなところがあったんだあ、でした。

 それで自分もここに行きたいと言ったところ、高校時代に部活で登山をしていたという彼は「そのためには30kgの荷物を背負って1日8時間歩けるようにしなければならない。来年の夏までに丹沢あたりで鍛えるべきである」という答えが返ってのです。
 なるほど、とおもっていたところなんと古本屋で雲ノ平と丹沢のガイドブック2冊が並んで売っていたのです。
 「雲ノ平」の著者は三俣山荘の主人であった伊藤正一氏で、これは単なるコース・ガイドではなく、歴史や出来事なども含めた物語でした。
 益々雲ノ平が憧憬となりました。
 このガイドブックはブログ上で知り合えたゆうゆうさんに受け取っていただきました。そしたら自身のブログにアップしてくださいました。

 
 さて雲ノ平に行くためにはという友人の助言にしたがって、彼といっしょに重荷を背負って丹沢の表尾根やら主脈やらを歩き、そしてとうとう憧憬の雲ノ平へ。
 有峰から入って雲ノ平を中心に周辺の山に登って槍が岳を経て上高地へ抜けるという夢のような1週間でした。
 北アルプスへはその後も行きましたが丹沢は行かなくなってしまいました。
 なんかこう自動車教習所のような気分があって、北アルプスへ行けたんだからもう行かなくってもいいじゃないかと。
 だからガイドブックもほとんど使わず・・・
 そのガイドブックがこれです。

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 丹沢の表尾根の写真が掲載されていますが麓の景色がこれがまるで江戸時代のようです。

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 大室山が大群山と表記されていたり、また半分が沢登のガイドだったり丹沢の範囲が籠坂峠までだったりと興味深いことも書かれています。
 昭和44年の発行です。
 
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 どなたかにお受け取りいただけるとうれしいのですが、さすがにこれを欲しいという人はいないでしょうねえ。

 菰釣山は丹沢なのだけれど神奈川県からだと直接登るルートがない。
 簡単に登ろうとするとどうしても道志村側からということになる。
 ところが神奈川県西部から道志に行こうとすると、アジアに出るためにホーン岬か喜望峰を回らなければならなかった大航海時代と同じで、山中湖側か相模原側かを大きくまわらなければならず、どうもなかなか行く気が起こらなかった「丹沢」であった。
 しかし圏央道が開通し、さらに相模原ICができて、いよいよかなとおもってNAVITIMEで調べたら、なんと一般道を山中湖回りで行った方が時間が短いのだった。
  
 それではと、梅雨空の合間に登ってきました。
 とにかく比較的近場で雨が降る前、午前中で登って下山できる山と検討したところ、表丹沢のようにヒルの心配もなさそうだったのでこの山になりました。

 さて駐車したのはネットの投稿を参考に「道の駅どうし」。
 ここから出発なのだが特に菰釣山への案内表示がない。
 ガイドブックでは一般道を歩くようになっているがそれは嫌だ。
 もう1度ネットの投稿を参考にして、当面の目標であるキャンプ場への道を調べる。
 7時に駐車場を出発。

 駐車場から出たらすぐに左へ。
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 ゆるい坂を歩き、橋を渡って直進。
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 民家の中の道を行き。
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 第2の橋を渡る。
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 渡ると突き当りにこの看板。
 この看板は駐車場の出口と、そして第1の橋のところにもあって好い目印だ。
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 橋を渡って突き当りを左折して、沢沿いの道をこれからはもうずっと道なりだ。
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 それにしてもここまで菰釣山への指導標が全くない。
 あの山は神奈川県の山、うちらは知らん、とでも言っているようだ。
 
 道の駅からおよそ15分ほどで「道志の森キャンプ場」
 あちらこちらに駐車場のような空地がある。
 と、「登山、釣のための駐車1日500円」とあるではないか。
 まあ往復で30分余計に歩くか500円払うかだから大した問題ではないけれど、なんだか損したような気分でもある。
 それにしてもこのキャンプ場は広い。
 抜けるのに10分ほどかかった。
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 しかし舗装でなくなったもののそれでもまだ林道が続く。
 今にも雨が降りそうで、林道が湿っているのが救いだ。
 延々と林道を歩いて50分、やっと今日初の菰釣山への指導標。
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 しかしその先は鎖で封鎖されている。
 心配になって久々に地図を見てしまった。
 最近はどこも指導標がしっかりしていて、地図を見ることもないのだがここは確認したかった。そしてまだまだ続く林道へ。
 5分ほどあるいて大きな法面のところでようやく山道に。
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 最初は沢の中の道だが5分ほどで尾根への登り口に。
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 山道に入ってから30分ほど8時25分に稜線に出る。
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 周辺はガスっていて益々雨が降りそうだ。
 稜線に出て5分ほどで避難小屋に。
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 自分たちの感覚だと避難小屋とはブロックの壁と石ののっかたトタン屋根で、鉄の扉というのが相場なのだが、東海道自然歩道ということからなのだろうか大室山などこの周辺は妙に立派だ。
 避難小屋からさらに15分ほど登って8時55分、駐車場から1時間55分で頂上に。
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 周囲はガスに包まれていてもちろん景色はない。
 雲の合間からチラリと山中湖が見えた程度。
 「登頂」を記念して早速儀式に。
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 タイマーで自撮りをしてたら突然藪の中から人が。
 一瞬驚いたが作業服を着て腕には「調査中」の腕章。
 何を調査しているのだろうか。
 とにかく今日初めて出会った人である。
 頂上では15分ほど休んで出発。
 深い森。
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 空が暗くまだ9時なのに夕方のようだ。
 しかし時折陽の差すことも。
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 笹薮に霧が流れて高山の気分に。
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 とにかく頭の中は「雨が降る前に」なのでどんどん歩く。
 登下降があるのでブナ沢の頭や中の丸かと思いきや、無名ピークだったりする。
 頂上から45分、9時55分に中の丸。
 丸という山名を見ると丹沢らしさを感じる。
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 さらに霧の中を進むと突然藪の中からガサリと大きな音。
 目の前を鹿が飛び跳ねて横切って行く。
 それにしてもこの辺りは皮をはぎ取られた木が目立つ。
 これをはぎ取ったのは鹿?それとも熊?
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 途中今日の山中で二人目の人類とすれ違う。
 自分もビックリしたが相手はもっとビックリしたような顔だった。
 どうもこの笹薮の尾根道は熊出没に相応しいようなロケーションである。
 
 中の丸からもひとつ無名ピークを越えて、10時20分、頂上から1時間10分で城ヶ尾山着。
 今日は浦和レッドダイヤモンズの第1ステージ制覇の日なので(絶対そうだと信じて)、それを記念してタオマフといっしょに儀式へ。
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 これで後はもう下るだけである。
 頂上から5分くだると城ヶ尾峠。
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 ここからどんどん下って行くと25分ほどで林道に出た。
 また林道だあ。
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 熊出没注意の看板
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 林道を20分ほど歩いたらひょっこりキャンプ場に出た。
 往路で通った「道志の森キャンプ場」だ。
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 これで今日の山歩きはほぼ終了。
 20分歩いて11時35分に「道の駅どうし」着。
 今日の行動時間7時から歩いて4時間35分。
 20分の休憩だから歩程時間は4時間5分。
 そしてそして、そのうち1時間35分が林道歩きだった。う~む。

 ところで東京に居た頃は道志には全く興味がなかった。
 知っていたのは富士山の前を遮るように立つ大室山だけだった。
 その大室山も丹沢系であることがこちらに転居してわかった。
 また御正体山という立派な山があることも知った。

 「道の駅どうし」の案内地図にはこの辺りの山々が表示されていて御正体山の他にも立派な山があることがわかる。
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 大室山、加入道山は山梨県の100名山になっている。
 そういえば道の駅から鳥の胸山への表示があったっけ。
 なんだろこの山はとおもっていたけど山梨100名山なのだった。
 菰釣山は無視されている。
 大室山と菰釣山の違いはなんなんだろう。

 それはともかく道志の、次の当面の目標は御正体山ということになった。

 仕事で清里に行ったので「美しの森」に立ち寄ってみました。
 本当はどこか八ヶ岳の一峰に登ってしまえぐらいの気持ちだったのですが、雨の予報でもあったし仕事のついでにというのはやはり甘くて断念しました。
 それでも未練たらしくクルマには靴とザックとシュラフだけは入れておきました。
 午前中の早い時間に河口湖での用を済まして清里まで来たら、約束の時間まで2時間ほどあります。
 それならば、美しの森ぐらいは行ってくるべえ、となったのです。

 思えば清里に仕事で来るようになってから早くも30年経ちます。
 そうそう、小淵沢にも仕事等で来ることがあるのです。
 それなのにこれまで1度も「ついでに」八ヶ岳のどこかに登ろうともおもわなかったし、山麓の展望の山にさえ行くことがありませんでした。
 美しの森に来たのも35年ほど前の秋に真教寺尾根を下ってきて、清里駅に向かう途中に通り過ぎて以来です。

 梅雨時なので雨こそ降っていなものの決して好い天気ではありません。
 ラジオでは九州での大雨について伝えていました。
 しかし八ヶ岳山麓は時折薄日も差しましたから悪いとも言えません。

 美しの森の駐車場から歩きだします。
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 展望台へは広い木道を上がって行きます。
 ツツジの季節は終わっていますがそれでも路傍にはその名残が咲いています。
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 振り向くと・・・秩父、南アルプス、富士山が見えるはずですがそれらは雲の中。
 でも清里の森がとても気持ちがよい。
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 15分で頂上へ。
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 来る道の途中の草むらの中に「ソフトクリーム」の看板が立てられていて、国定公園内でこんなことしちゃっていいのかとおもっていたのですが頂上の展望台でソフトクリームを売っているのでした。

 頂上から八ヶ岳の権現方面が望めるはずでしたがこの方面は黒い雲。
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 さて、頂上付近にはまだ名残のツツジが咲いていました。
 ヤマツツジ。
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 オオヤマツツジでしょうかレンゲでしょうか。
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 こんなツツジはみたことがありません。
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 これもです。
 まるでシャクナゲのようです。
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 学生時代にアルバイトをしていた出版社に「シャクナゲとツツジ」という本がありましたがなるほど種類が多いのですね。
 これはサラサドウダンツツジなのでしょうか。
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 さてこれからどうしたらいいのでしょうか。
 頂上付近には観光客やら遠足の子供たちやらが歩いていました。
 それでみんなが歩いている方向へ自分も歩いてみました。
 そしたら「たかね荘」の前に出て、そこにも大きな駐車場があってバスが駐車していて、みなさんはそこへ戻って行っているのでした。
 しかしそのおかげでこの先に羽衣池があることがわかりました。

 そこから先はとても静かになりました。
 森閑とした林。
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 見ただけで歩きたくなくなる長い長い土留の道。
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 登り切ったところが羽衣池でした。
 チョッと尾瀬を思い出しました。
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 池には白い花が咲いていましたが何だかわかりません。
 自分の花の知識は尾瀬に偏っています。
 尾瀬ならわかるんだけどな~。

 ところで35年前に真教寺尾根を下りてきたわけですから、逆に美しの森のどこかかに「真教寺尾根・赤岳方面」という標識がありそうなものなのに、ここまでそれを見出すことがありませんでした。
 そしてこの羽衣池でやっと発見することができました。
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 しかしこんな道を通った憶えは全くありません。
 まあ昔のことの細かなことまで憶えているわけもなく、特にこの尾根は岩場を過ぎると後はもうひたすら下って行くだけなので、自分の記憶も岩場の次は清泉寮の前の道に飛んでいるのです。そのころはまだいわゆる清里バブルが始まる前で、静かでそして落ち着きがあったものの、一方では山中の鄙びた開拓地といったイメージもありました。清泉寮の前の道も牧場に囲まれたそれこそ牧歌的な風景でした。
 
 さてNOBUさんの2週間ほど前のブログ「美しの森」にはいろいろな花が紹介されています。


 ところが自分が歩いたところではそれらの花はどこにあったの?です。
 やはり世の中見る人が見ればいろいろな発見があり、そうでなければそれなりになのです。
 それで案内にあるクリンソウの群落へ行ってみました。
 イチリンソウ、ニリンソウはよく見聞きしますがクリンソウは初めてです。
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 それにしても不思議な花があったのですねえ。
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 羽衣池で尾瀬を思い出したのですが、その心を汲んでくれたのか花はないもののミズバショウがありました。
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 しかしミズバショウというのは咲き始めのほんの一瞬だけ美しいけれど、大きくなるとチト毒々しくなるような気がします。
 一時尾瀬が生活排水(山小屋の)でミズバショウが成長し過ぎ、ということが話題になっていましたが今はどうなっているのでしょうか。

 これで美しの森散策は終わりです。
 駐車用に戻ったのは歩き始めて1時間と少しでした。
 スーツからカジュアルに着替えて、またスーツに着替える、怪しいヤツです。 
 ところで、清里の駅前からこの美しの森に続く道を上がってきたわけですが途中に清泉寮はありませんでした。
 ということはあの日、美しの森から下りてきたのではなかったのです。
 清泉寮はいわゆる「美しの森道路」の1本南側でした。
 ということは私たち一行は羽衣池あたりから直接駅への道へと出たようです。
 とおもって帰宅してから当時の地図を見ました。
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 すると尾根から下りてくると途中で分岐する道があって、美しの森にも羽衣池にも寄ることなく清泉寮に下りることができたのです。
 おそらくこの道を行ったのでしょう。
 いやはやこれまでずっと美しの森に下りてきたのだと勝手におもっていました。
 その清泉寮、菜の花が綺麗でした。
 湘南二宮では1月に見頃の菜の花が清里では今満開なのでした。
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 さて、仕事のついでに登っちゃおうかな~なんて思った八ヶ岳、仕事の相手から「八ヶ岳にでも登り来たついでにでウチにも寄ってくださいよ」と言われました。
 おお、何だか八ヶ岳登山の周辺整備が整いつつあるではないですか。
 北八でも好い、この連峰のどこかに登りたいものです。

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