テイザニストもろーの山歩き

山歩き歴50年、今は低山を中心に歩いています。

2015年02月

 ACL出場で一足早く始まった浦和レッズの今シーズン。
 楽しみにしていたのに敗戦してしまった。
 韓国での完全なアウェイだったから勝つのは難しいとしても最低でもスコアレスの引き分け、あやよくばアウェイ・ゴールでの勝点1ぐらいはと期待していたのに。

 大体負け方がよくない。
 1点先制してそのまま勝ち切ることができればというところを同点にされた。
 まあそれは仕方ないとしても、これで終われば勝点1の上にアウェイ・ゴールで充分に満足行くものだった。
 ところがだ、昨年の後半から続けられている悪習が・・・
 また試合終了直前に失点しての敗戦だ。
 あ~

 しかし浦和だけじゃない。
 アウェイで先制しつつ負けなんてまだ好い方で、G大阪や鹿島はホームで2点を取られての敗戦だ。
 アジア・チャンピオンズ・リーグの初戦、日本は3敗1分け。

 日本は昨年のワールド・カップで勝点1しか取れなかった。
 アジア・カップではアギーレの戦術が浸透することなくベスト8で終わってしまった。
 そして始まったACLでは・・・
 3冠のG大阪が中国のクラブに0-2で負けて、鹿島はオーストラリアの、浦和は韓国のクラブに負けて、おいおい日本はアジアでも勝てなくなってしまったのか。
 
 自分などはオランダのトータル・フットボールに感銘を受けた世代だから、選手が背番号やポジションに関係なく、ピッチを縦横無尽に動き回るサッカーを好む方ではあるけれど、しかし日本は基本的な戦術をしっかりできるようにすべきでないか。
 つまりオフェンスは点を取ること、ディフェンスは点を取られないこと。
 まずは自分の与えられた仕事をしっかりしてもらわなければ。
 浦和のディフェンスなんて槙野だの森脇だのがどんどん上がって攻撃参加するのはいいけれど、対効果においてマイナスなんだから最後までしっかり守備しろと言いたい。

 浦和もG大阪も初戦に負けてしまって、これで今週末のゼロックス杯がなんかしまりのないものになってしまった。
 来週は浦和のACL第2戦、ホームでのブリスベン戦、絶対に快勝してファンを喜ばせてほしい。

 それにしても日本代表も浦和も、期待できるのは女子の方だなあ。

 昨年の12月に落ち葉を踏みながら伊豆の山を歩いていたら、奥武蔵を思い出して無性に懐かしくなってしまった。
 昭和の時代には居住地の地の利とトレーニングを兼ねてよく歩いたものだけれど、平成になってからはピクニックとして伊豆が岳だの丸山だの程度しか行かなくなってしまった。
 特に名栗方面はドライブでも行かなくなってから久しい。
 それで行く機会を狙っていたのだけれど、神奈川県の海っぺりから同じ埼玉県でも秩父とちがってブランド力のない奥武蔵の山に行くのにはけっこう「ヤル気」がいる。
 そんなわけで先送りにしていたらブロ友のこうちさんから「同行」してくださるというありがたいお言葉をいただいてしまった。
 恐縮しつつも喜んで同行をお願いしました。

 
 行く山は名栗の蕨山。
 おそらく30年ぐらい行っていないはずである。
 なぜならば名栗の有間川周辺はダム工事で立ち入ることができず、自然と足が遠ざかってしまったからだ。
 有間ダムが出来てから(1985年竣工だそうだ)は1度だけドライブで行った程度である。
 で、なんで蕨山かというと平野方面の景色が抜群によくて、「奥武蔵で一番」だったという記憶があったからだ。
 

 こうちさんとの待ち合わせ場所は「さわらびの湯」駐車場。
 ネットで山行記を読むまではこんな施設ができたのも知らなかった。
 そして、神奈川県西部の海辺からここまではさぞかし時間がかかるだろうとおもっていたのだが、圏央道の開通によって1時間半足らずで着いてしまった。
 こうちさんと落ち合ってから、さわらびの湯7時51分発のバスで名郷へ。
 飯能駅からやってきたバスに乗っていたのは登山者ばかりで気分が上がる。
 山峡の道を進んでバスは8時5分に名郷(なごう)着。

 名郷は大持小持武甲山、鳥首峠から有間山、武川岳・二子山そして蕨山と、いろいろな方面を目指ざすことができ、奥武蔵の上高地ともいえるところだ。
 もっとも景色は普通の山のバス停である。

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 でもやはり基地になるような地点だから蕨山への案内板も。
 今日のコースはこの案内板のとおり。

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 最初は15分ほど林道を歩くがすぐに植林帯の急登。
 登りきったところが蕨山へと向かう尾根だ。

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 尾根に出て武川岳や武甲山が見えてきて、景色は広がるけれどこれで登りが終るわけではない。
 ここからは露岩帯の登りになる。

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 このコースは過去に2回歩いているのだが全く記憶にない。
 徐々に雪も多くなる。

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 後ろから来た人に「これから先は雪が多くなるので滑り止めを着用した方がいい」というアドバイスを受ける。
 この人は先週は武川岳を登ったそうで、900mより上は15cm以上の積雪だったという。
 それならばと滑り止めを着用したらなるほど雪が深くなった。
 急登では足がもぐるほど。

 
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 雪の積もった露岩帯などを歩いていると積雪期の八ヶ岳を思い出してしまう。
 
 
 
 とても楽しい山歩きになった。
 そしてバス停から2時間で頂上着。

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 奥多摩のランドマークだとおもっている大岳山の山容が立派だ。

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 奥武蔵のランドマークであるはずの武甲山が少し悲しい。

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 そして関東平野の景色だがその方向に、昔はなかった植林が広がっていた。
 だから期待した平野の景色がなかった。
 「平野の景色が抜群」などと豪語していたのでこうちさんに申し訳なくおもう。
 それから関東平野の北の山々、日光や上越国境や浅間山なども雲の中だった。
 ちなみに昭和57年版ブルーガイド奥武蔵・秩父に掲載されている写真では山頂はこんなです。有間山が堂々と見えています。

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 それにしても頂上は温かく、まるで春のようだった。
   こうちさんからいただいたポンカンが滋味が強く味わい深く、それがまた春を感じさせるのだった。

 頂上での儀式を済ませた後、10時半に頂上発。
 下りの尾根にも雪があり、低山積雪歩きが楽しい。

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 藤棚山でも儀式を行う。
 
 若い頃、山仲間と登っていたときは写真係なんてのがいて、専ら人に写真撮影を任せていたことがあった。それでどうも自分以外の人が写真撮影をしていると自分の写真を撮り忘れてしまう。
 今回はこうちさんがいろいろなところで撮影されていたので、なんか「オレはいいや」という気分になって、だから藤棚山の画像もないのだ。
 それでも山道の途中に立つ指導標が妙に趣があって撮影したし。

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 オオヨケの頭という変わった名前のピークも撮影した。

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 昭和56年版!のガイドブックにはオオヨケの頭からは「雑木林がよい」と書かれているのだが今は植林帯となっていた。
 しかし棒の嶺、川苔山、有間山と、奥多摩・奥武蔵の山々のまるで伽藍のような絶景ポイントがあって、ここで昼食にする。

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 昭和と異なる景色としては林道だ。
 尾根の近所までの林道は記憶がない。
 ダムが出来て谷が湖に沈んだためだろうか。
 林道を横切るところがあったが、箱根や丹沢の林道のようにコンクリートブロックで固めていないのでそんなに感じは悪くない。

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 ところでこの尾根上にはいくつかのピークがあり、その最後が金毘羅山だった。
 ところがいつになっても出てこないとおもったら通り過ぎたことが判明。
 道がピークを巻いていたのだ。
 どうしてそれに気づいたかとうと、私的に取り付けられたと思われる指導標があったから。
 下ってきた尾根だが登りなおす。
 こうちさんがましらの如く斜面を登って行き、たちまち視界から消えてしまった。
 そして「ありました!」の声。
 立派な山頂標ではなかったがちゃんと三角点もあった。
 儀式を終えてから下山路に戻る
 やがて名栗湖が見えてくる。

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 それから金毘羅神社跡や見晴などというところもあるが景色は全然よくない。

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 もう後はどんどん下るだけ。
 すると下りきったところが「さわらびの湯」だった。
 素晴らしい天気と素晴らしい同行者に恵まれた素晴らしい山行だった。
 こうちさんには少し物足りなかったもしれないけれど、同行してくださって本当に感謝します。
 そしてこの山行について当ブログよりはこうちさんのブログをご覧いただければとおもいます。きっと写真も豊富です。


 それにしても圏央道のおけげで奥武蔵が以外と近いことがわかってしまった。
 これからは奥武蔵(名栗方面)に来る機会が多くなるかもしれない。

昭和の山道具です。

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ピッケルとワカン

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もうこれを使うような山には行かず必要ないのだけど。
もし雪山に行ったとしてもこんな木製シャフトのピッケルなんて
使ってる人いないだろうなあ。

4シーズンの山靴。
重くってもう履けません。

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テルモス。
製品名だとは知らないで山用の魔法瓶をみなテルモスというのだとおもってた。
昭和の人の多くがそうおもってたのでは。
御嶽山でからくも助かった人もテルモスと言っていた。
今はサーモスになりましたね。

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マルキルの水筒。
1.5リットル。
水の少ない南北アルプスの稜線で重宝。
長い時間歩かないし軽いペット・ボトルで充分。

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かなり初期のEPIガスストーブ。
これが出る前は石油ストーブを使っていた。
あれは気化させるまで時間がかかった。
だからこれはとても重宝した。
ただし火力は石油ストーブの方が強かったと思う。
オプティマスを持っていたが誰かのところへ行ったきり
帰ってこない。

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スパッツとオーバーミトン。
ゴア・テックスの出現は当時は画期的だった(とおもう)。
スパッツは今でも使用。

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天山の夏用シュラフ。
ダウンジャケットも天山だった。
自分の仲間内だけなのかもしれないけれど、
1980年代は天山は人気があったとおもう。

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冬用のシュラフ。
羽毛の量が多いからかさもはる。
今はダウンジャケットも嘘みたいに薄い。
昔者の自分などどうも信頼できないです。

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このザックを使うような山行もなくはないかもしれないが
自分が背負うことができるかどうかだ。



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8ミリ・カメラ。
ビデオじゃない、8ミリ映画の撮影機だ。
普通に写真のカメラにしときゃよかった。
もうずっと前に映写機が壊れてフィルムを見ることができない。
ブルーレイだのなんのという時代に見る気もしないが。

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これらの山道具をずっと持っていたのは(一部を除いて)、
災害があったときに役立つとおもったからだ。
阪神淡路大地震のときに避難所もなく野宿している人たちを見て、
これは山道具は必要だと感じたのだった。

でも最近では救援のスピードも上がって
必ずしもサバイバルの必要もなさそうだ。
はてさてこれらの道具をどうしたものか。

 奥武蔵を歩きたいとおもってアラーム・セットで眼を覚ましたのに、も
う一歩が踏み出せずグダグダしている間に時間が過ぎてしまった。
 こうなるともう遠くへは行けない。
 とはいえ頭の中はもう山モードになっているからどこかしらへは行きたい。
 しかし今年になって立て続けに近場の「お気に入り」に行ってしまったからもう候補がない。
 いっそのこと静岡の山にでも行こうかとも考えたが箱根・足柄の壁は意外と高い。
 こうなりゃシダンゴ山にでも行くかあ、とおもった。
 こうなりゃ、にでも、というのはこの山には失礼かもしれないが、しかし標高にしろ歩程にしろ、まあそんな程度の山である。
 しかし以前からこの変わった名前が気になっていた。
 しかもその入口の地名も一文字で「寄」と書いて「よどろぎ」と読むのだ。
 フランスのYと書いてイグレックと読む村のようではないか。
 そして現在ここで蝋梅祭りというのが開催されていて、その会場とシダンゴ山への駐車場が同じだったのだ。だからシダンゴ山に行ってそして蝋梅祭りも行きという、ふたつ楽しめればまあ標高・歩程に足りないものがあっても好いじゃないか、であった。
 
 国道246号から寄への道路へ入るとけっこう深い谷沿いになる。
 「祭り」が行われているぐらいだから公園みたいなのがあって、普通に平地の道路を行くと想像していたのだ。こりゃこの先はどんな山峡になるのだろうと考えていたら、あれまどんどん民家が出てきてなんか相当に大きな集落に出てしまった。
 いやいや集落どころかこりゃ町である。
 おそらくいつころからかに合併して松田町寄になったけれど、昔はひとつの自治体だったのではあるまいか。それにしても産業は何だったのだろう。
 
 それはともかく車を寄自然休養村センターという大きな建物のある駐車場に置かせてもらう

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 735分発。
  すぐに大寺という橋を渡る。

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 付近は民家が立ち並ぶ住宅街で、何かこれから山に登るというのが不思議な気がする。
 
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 しばらくはそうした住宅の中の舗装道路を歩いて行く。
 と、わんわんぎゃんぎゃん吠える犬を数匹乗せた軽トラックが通り過ぎてゆく。
 車窓から見たが今日は鹿か猪の駆除の日なのだろう。流れ弾に当たらないことを願う。
 それにしても舗装道路をずーっと歩く。
 立派なトイレなんかも出てくる。

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 20分ほど舗装された道を歩くと扉が。

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猪が人里に出没しないようにだがこれが里と山の結界で、これを過ぎると山道に入る。
 
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駐車場から30分ほどのところに頂上まで35分の標識があって、これを合計すると駐車場から頂上まで1時間5分ということになる。
ガイドブックでは1時間20分になっていたのだがどうなっているのだろう。
さらに山道を歩くとまた林道が出てきた。
  おいおいだ。

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  ただここが終点らしく林道を歩くことはない。
 再び植林帯の山道にはいる。
 景色はない。
 
 やがて馬酔木か満天星躑躅かの植林帯が出てきた。
 その季節には花が咲くのだろうなあ。

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 840分、駐車場から1時間5分だった。
 
  頂上は小広くピクニックに最適だ。
 
 
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 景色は海側が好い。
 ただしモロに逆行で撮影してみたがハレってしまった。
 山側は鍋割山や丹沢主脈、表尾根が見渡せる。

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富士山は残念ながら前山に隠れて片側しか見えない。
 
 
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 そして・・・
 こんな低山でもいいのかなあ、とおもいつつ例の儀式に入る。 
 
 
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 ところでシダンゴ山を自分はずっとジダンゴ山だとおもっていた。
 漢字にしたら地団子だ。
 不思議な山名だ、何かあるなと睨んでいたのだけれど、頂上にはシダンゴ山の山名由来があって、まあこれはwekipediaにも書いてある。
こうした伝説はどうも全面的に納得しかねるのだけれ、他に説がないのだからまあそうなんだろうなあ。

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 儀式も終わってしかも時間が8時代でもうやることがなく、855分に頂上発。
 5分ほど下ると宮地山への分岐。
 宮地山方面に向かうのは植林帯のトラバース道。


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 そしてまた林道が現れたが、しかしこれはご老公様ご一考様が通るような道だった。

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 このまま林道を行くのかとおもったら高圧電線が出てきて、そこでまた山道へ。
 しかし平野では高圧電線の鉄塔というのは金網で囲まれていて、その下に立つようなことはなかなかないとおもわれるのだけれどここではむき出しなのだ。
 それでせっかくのチャンスなので鉄塔の下から上を撮っておいた。 
 
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 この下にいると、もの凄いパワーをもらって超人になってしまうか、電磁波を被ばくしてしまうかどちらかなのだろうなあとおもってしまう。
 そして山道は明るいブナとクヌギの森になって気持ちが好い。
 
こんな道を歩いて登って、これが宮地山かとおもったら全然違ってたんなる尾根のひとつのピークだった。
 そして宮地山。
 この山は縦走路のピークかと勝手に決めつけていたのだが、これが縦走路にあるのではなく、寄へ下る道の分岐を1度通り過ぎて頂上に向かわねばならなかった。
 まあただ5分ぐらいなのでどうということはない。
 頂上付近は樹木に覆われていて景色はないがここもピクニックには好いだろう。
 シダンゴ山山頂を855分に出て945分に宮地山山頂着。 
 
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 こんな低山で儀式をすべきかどうか悩ましいところだが、とりあえずここでも一応儀式をしておく。
 
 
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 それにしても明るい道である。
 シダンゴ山を歩くなら絶対に宮地山から始めるべきである。
 シダンゴ山までだらだらと長いかもしれないが植林帯を登るよりは、多少なりとも景色のある「雑木林」を歩いた方が絶対に楽しい。
 そしてちょうどよい時間にシダンゴ山山頂に到着し、そこでランチにした方が絶対に好い。
  シダンゴ山への道が植林の薄暗い道だったので余計にこの辺の明るさが際立つのだ。

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 そんな「雑木林」を下って行くとやがてまた「結界」があって、確かにそこを通り過ぎるとすぐに茶畑になって「里」を感じてしまう。
 そしてここから駐車場までがもの凄く近くって15分もかからないで着いてしまった。
 
 1010分に駐車場着。
 行動時間2時間40分。
 これは山歩きでなくピクニックだ。
 でもまあ山を歩いて楽しかったんだから山歩きかな。
 
 では次に蝋梅かというと200円の入場料が必要らしい。
 別にどうという金額でないが、ここへ来る前のブログに「蝋梅は宝登山がいい」という文章を読んでしまったのだ。
 宝登山(秩父長瀞)へは蝋梅の最盛期にいってしまっている。
 そこより劣るのに(ブログでは)200円はねえよなとおもってスルーした。
 で寄を後にしてシダンゴ山という奇妙な名前の山を歩いたことには楽しかったのだが、やはりもの足りなさと今朝しっかり起きなかった、反省が残る。
 来週は頑張って奥武蔵までゆかなくっちゃ。

先週の木曜日(25日)、首都圏は大雪の予想もあったけれど神奈川県は1日中雨だった。
仕事で大田区まで行っていたがそこも雨。
今週こそ「山の雪」を期待したが外れたようだった。
でも、雨とはいえ1日中降っていたのだから、山の上では1日中雪が降ってそれなり積雪しているのではないか。
だってニュースじゃ箱根の芦ノ湖畔が、白銀の世界になっている映像を流してたじゃないか。
そして金曜日、平野から望む箱根から丹沢の神奈川県の山々はけっこう白くなっていたのだ。
 
 というわけで土曜日(27日)は「行かねばなるまい」という気持ちになり、先週の鍋割山では標高が足りなかったのではないかともおもい、1490Mの塔ノ岳を目指してみた。
 コースは昨年40年ぶりに歩いた大倉尾根だ。
 この尾根の、いつまでも続くダラダラ感が嫌で長らく敬遠していたが、昨年歩いたら今やダラダラの方が一気登りよりも楽に思えるようになってしまったし、あまり木々に覆われていない尾根なので積雪も期待できたからだ。
 がこれも期待に反していつまでも全然積雪していなかった。
 やっと積雪らしくなったのは上りだしてから2時間半の、花立茶屋を過ぎたぐらいからだった。
 
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 画像がいきなりここから始まるのは、ここまでも無積雪の景色を撮影していたのだが「カードエラー」の表示が出て、カードを入れなおしたら全部消えちゃったからだ。
 でも今回の塔ノ岳登山の目的は「雪」だから、ここまでの画像は意味がないといえなくもない。
 
 花立の尾根からは富士山を望めるのでとりあえず撮影しておく。
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 塔ノ岳の山頂付近が見えるようになったがあまり積雪の気配がない。

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大山と三ノ塔。
 こちらの方が積雪していそうだ。

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 花立から金冷やしにかけての尾根の積雪。
 やっと雪の上を歩いているような気分になる。

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 ただ直下の登りはやはり土留が出ている。
 以前の積雪時、ここを通ったときはすっかり雪に覆われていて、しかも強風のために地吹雪状態で、なかなか気分がよいものだった。
 やはりせめてくるぶしぐらいまでの雪は欲しい。

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 7時に戸川公園を出て、3時間10分で頂上着。
 頂上は西方向(富士山側)から強い風が吹いていた。
 軽い地吹雪も起こって目があけられないことも。
 ブロ友の「隊てぬ」の撮影もひとりではとても無理な状態。
 誰かにシャッターを押してもらおうとおもうものの強風で頂上付近に人がおらず、誰か来るまでしばらく待って、やっと撮影をお願いしたが強風でてぬぐいがちゃんと広げられなかった。

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 40分ほど前まで見えていた富士山もすでに雲の中。やはり先ほど撮しておいてよかった。

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 表尾根の方が積雪しているようにも見える。

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 頂上の標柱裏に設置されている気温計ではマイナス5度だったが、なにしろこの風でやたら寒い。
 富士山を眺めながら昼食をなんて目論んでいたがとてもそんな状態ではなく、それでも腹ペコだったので、比較的風の弱い東側(関東平野側)で昼食。
 それでこんな寒い頂上で20分も過ごし10時半に小丸方面に向けて出発。
 
 今日塔ノ岳を登ったのは、塔~二俣尾根分岐までの尾根の積雪とその景色を期待したからだ。
 大丸付近の積雪は期待ほど大したことはなく、先週の小丸付近とあまり変わらなかったが景色の方は「雪景色」を感じさせるものだった。
 
 だからなかなか楽しい尾根歩きに。

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 ただ自分がおもっていたほどこの尾根は長くなく1110分、40分で二俣尾根の分岐まで来てしまった。
 逆コースだともっと時間がかかったような気がする。
 楽しい時間はあっという間ということなのだろうか。

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 この先の先週通った尾根で鍋割山まで行けばもっと楽しい時間が過ごせるだろう。
実際にこれまではそうしたことがあるがそれは表丹沢県民の森に車を駐めていたからだ。
 今日は二俣まで下りたら車が置いてある大倉まで林道を50分歩かなければならない。
 そのことを考えると遠回りがつらい。
 後ろ髪をひかれるとまでは行かないが、心残して二俣尾根を下山。
 秦野市や小田原市、真鶴岬などを遠望する。

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 そして先週と同じように尾根を下りだすとすぐに雪が消え、泥濘の道になったがしかし先週とちがって樹林帯に入ったらまた雪があったことだ。
 
 さらに二俣を過ぎて林道を歩きだしたら、これもまた先週は雪がなかった林道に雪が残っている。
 さらに表丹沢県民の森方面への林道にも積雪が見えた。

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 これはもしかしたら塔ノ岳より鍋割山の方が積雪してたんじゃないかという「疑惑」が頭をかすめたりする。やっぱり鍋割山を経由した方がよかったのだろうか。
 
 しかし三ノ塔の方が、鍋割山の方がと、まあ隣の芝生が青く見えるものなのだろう。
 それにそんなに雪が欲しけりゃ上信越の山に行けばよい。
 ただ天候急変がある、上信越の2000M級の雪山への単独行は違反だとおもうし、まあすぐに帰れる近場だからいいのであって雪のないのも仕方ない。
 
 県民の森と大倉の分岐。
 
 
 ここから大倉までは未知の道だ。
 コースタイムでは林道を50分歩くことになっている

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 林道とはいえ雪融け後で予想外に濡れていて、おまけに林道の最後にまた山道のようなところを歩かねばならず、勘七沢で洗った靴にまた泥んこがついてしまった。
 1330分大倉バス停着。
 タイム通りしっかり50分かかった。
 7時に歩き始めたから6時間30分の行動時間だった。
 そして自分の場合は故あって車までさらに10分歩かねばならなかった。
 二俣からの合計で1時間。
 この1時間の林道歩きがえらく身体に応えた。
 帰宅したら珍しくバタンキューでした。

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