テイザニストもろーの山歩き

山歩き歴50年、今は低山を中心に歩いています。

2014年04月

 ちょっと山の中を歩きたいとおもった。
 午後からは雨になるような天気予報だったから午前中だけで切り上げられるようなところと考えていたら、足柄峠から金時山を思いついた。
 金時山は何回か歩いているが足柄峠からというのは行ったことがない。
 
 足柄峠からだと頂上まで1時間20分とあるから、休憩も入れて往復で3時間、雨が降る前に歩くにはちょうどいいではないか。
 
 と目論んでいたのだけれど実際はもっと短い時間で往復できてしまい、いくらなんでも簡単すぎるだろうという山散歩になってしまった。
 
 足柄峠から金時山とあるから、峠にクルマを置いてそこから歩くのだとおもっていたのだが林道はさらに奥へと続いていたのだ。
 そして一般車両の入れる林道の終点駐車場からは頂上まで60分となっていた。
 予定よりも片道で20分、往復で40分も短縮してしまったのだった。
 しかし午前の8時だというのに駐車場はけっこうなクルマがあった。
 
イメージ 1
 
 しかもさらなる林道を歩き始めたら下山してくる人たちと次々とすれ違う。
 「朝飯前に金時山に登る会」でもあるのだろうか。
 
 そしてしばらく林道を歩いていると猪鼻砦跡という少し開けたところで金時山の頂上が見えてくる。
 尾根から突き出たような、なかなか立派な山容だ。
 岩が見えているのであそこを行くのだろかとちょっとわくわくする。
 
イメージ 2
 林道が終ると山道に入るがそこは土留が続く階段上の道だった。
 
イメージ 3
 
 いやいや手すり付の階段まで出てきて、これらが頂上まで続くのだった。
 
イメージ 4
 
 岩のトラバース道もしっかりと保護。
 
イメージ 5
 
 これじゃ山を歩いているというよりも、東京タワーやビルの非常階段を登っているようだ。
 これらの設備、特に階段は新しく、ではこれらがなかったときはどうだったのだろうかと見回すと急峻な山道に錆びた鉄の鎖がぶら下がっている。
 う~む・・・。
 
 それでもやがて岩の、山道らしき地帯になってくる。
 
イメージ 6
 
 とおもったらトイレと金時茶屋に挟まれた道に出た。
 頂上だ。
 
イメージ 7
 
 雨の降る前だから富士山の景色は最初からあきらめていた。
 それどころか霧の中を歩けたら楽しかろうとおもっていたぐらいだから、景色なんて見えないぐらいでよかった。
 それでも箱根方面が見えたのでとりあえず撮影する。
 
イメージ 8
 
 それにしてもあまりにも簡単に登れてしまって、いくらグダグダな自分でもいささかもの足りない。
 欲求不満で帰ることになってしまった。
 5月の大型連休のいずれかで、もっとしっかりとした山を歩ければいいのだが今のところ予定が立ってない。
 でもこれじゃあなんとか都合を付けてどこかへ行かないと気持ちが収まりつかないかもしれない。
イメージ 9
 

 5年ぶりに北海道へ行った。
 進行方向左窓側の座席だったのでずっと眼下の山を見ていたら、十和田湖付近で左上方向に均整のとれた白い山が見えた。
 あの方向で均整がとれて目立つ山といったら岩木山しかない。
 おお! とおもって写真を撮ってしまった。
 
イメージ 1
 
 これまで北海道には100回ぐらいは行っているはずである。
 月1回飛んでいたこともある。
 でも岩木山を見たのは初めてだ。
 100回行っているといってもいつも窓側に座れるわけでもなく、座れたとしても雲の上を飛んでいることの方が多いし、寝てしまうことも少なくないので実際に眼下の山を確認できるのはそうそうあることでもない。
 それでも窓側に座って景色が見えれば、いい歳こいてと言われそうだけれど出来るだけ自分の頭の中の地図と照らし合わせるようにしている。
 それでもこれまで岩木山を確認したことはなかったのだ。
 それで写真を撮ってしまったのだがおかげで八甲田山も撮影することができた。 
 
イメージ 2
 
 もっと早くいろいろと撮影すりゃあよかったなあとおもう。
 羽田から千歳へ向かう飛行機は多くの場合まず台場、葛西、TDRの上空を飛び、それから北上して行くのだが、冬の朝早い便だと富士山や丹沢、秩父の山々を見ることが出来る。
 この日は関東平野の西側はガスに包まれていたので、山のヤの字も見えなかったが埼玉スタジアム2002が左下に見えて喜んでいると、やがて日光の山々が見えるようになる。奥白根や男体山だ。次が那須岳。
 まだまだ雪に覆われて白い峰だ。
 栃木県、福島県ではおおよそ東北新幹線の上空を行くが飛ぶ日によって東西にずれるようである。
 福島市の上空を行くこともあったし、猪苗代湖の上を通ったこともある。
 この日はやや会津よりを通ったので気が付いたら磐梯山上空だった。
 そして吾妻連峰や飯豊山などを確認しているうちに米沢市上空に。
 これからしばらくは奥羽本線沿いに北上して行くが、これも山形市が丸ごと見えるときと西端だけのときがある。
 この付近では朝日岳と、そしてべったりと雪に覆われた月山がうれしい。
 この日は日本海まで晴れていて鳥海山も確認できた。
 そうそう2008年の宮城内陸地震の後に飛んだときには、崩れて地肌だらけの山々を確認したこともあった。
 田沢湖、十和田湖、八甲田山、そして今回の岩木山だ。
 岩木山の南に連なっているのは白神山地だろう。
 
 陸奥湾を過ぎると津軽海峡となりすぐに函館市が見えてくる。
 これから苫小牧までは海の上を飛ぶのだけれど、快晴ならば北海道の山々は充分に堪能できる。
 ところが、自分は北海道の山々の知識がほとんどない。
 噴火湾上空から見える均整のとれた富士山のような山は、蝦夷富士といわれるシリベシ山(羊蹄山)なのだろうか。
 着陸態勢に入った苫小牧付近から見える山々は樽前山?恵庭岳?
 1度飛行機が着陸順番待ちということで苫小牧よりもっと北へ飛んだことがある。
 そしたら雲間から神々しい峰々の連なりが見えたのだけれど、あれはどこだったのだろう。
 千歳の飛行場からも右に左に形の良い山が見えるのだが同定できない、というより山名を知らなすぎるのだ。
 しかし電車に乗って小樽方面に向かえば手稲山はわかる。
 それから石狩湾の向こうに見える暑寒別岳もわかる。
 小樽の人の話では、海の向こうに白く連なる暑寒別岳とその連山を見て、観光客が「シベリアが見える!」と言ったのだそうだ。
 ほんとかなあ、とおもうものの、その話が印象的でこの山名は忘れられない。

 昨年の正月に、初日の出を拝むために寒く暗い山道をひとりで歩いていて考えた。
 ここでもし自分が心筋梗塞とか脳梗塞で倒れたとしたらどうなるだろう。
 多分、後から歩いてきた人やグループに発見されることになるのだろう。
 その人たちはまさか倒れている人を放っておくわけに行かないから、介抱するとか警察か消防に電話するなどして、いわゆる救助活動をすることになる。
そうするとその人たちは日の出を頂上で迎えることがほぼ不可能になる。
 つまり自分がひとりで歩いたことで、見ず知らずの他人の楽しみを奪ってしまうのだ。
 そう考えるとひとりで山を歩いているのが罪悪なのではないかとおもえてきた。
 
といってそれを改めることもなくその後もひとりで山を歩き、今年の正月もひとりで初日の出参拝登山をやってしまった。
さらには大雪が降って膝ほどまでに積雪した箱根の山にひとりで登ってしまった。
もし自分の体に何かアクシデントが生じれば明らかにルール違反だろう。
若いときならそんな心配は全くしなかったけれど、自分の年齢だとただでさえ心筋梗塞だの脳梗塞だののリスクが高いのである。それが山の中で起きてしまったらとおもうと心穏やかでなくなるのだ。
あるいは足腰だって若いころから比べればガタガタである。
チョッとしたことですっころんで立て直しがきかず、大けがに至るなんて可能性だってあり得るだろう。
 
 山を歩く仲間が欲しいとおもう。
 若いころに10人ほどいた山仲間で、現在も山を登ったり歩いたりするのは自分ひとりである。
 み~んな山から遠ざかってしまった。
 彼らは山に関係なく遊びでも仕事でも友人なので、たまには会うことがあるけれどそうしたときでも山の話なんて出ないし、自分も「低山歩きしている」なんて言えずに黙っているままだ。
 
 2月に関東地方に大雪が降って、山々は深い積雪に覆われて、以前ならば仲間といっしょに嬉々として奥多摩や秩父に繰り出したに違いない。
 あれだけの大雪となるといかな関東の低山とはいえ一人歩きはリスクが高いし、だいたいひとりじゃラッセルだって苦労するしうんざりするだろう。
 しかしもし昔の山仲間が今も山を歩いていたとしても、自分は彼らから離れた地で暮らしているし、それから最も山行を共にしたふたりのうちひとりは同じように東京を離れたし、もうひとりに至っては星になってしまったので見守ってくれているかもしれないがいっしょに歩くことはできなくなっているのだ。
 
 では新しく山仲間を作るかというと、今の自分は歩くのがとても遅い。
 グループで行動したとすれば遅い自分は迷惑をかけてしまうだろう。
 それに気の置けない、悪態ついても笑えるようなざっかけた仲間とずっと登っていたから、ここでまた改まった仲間とよそよそしく歩くのもかったるい気がする。
 ならば家族はどうかというと、以前はピクニック程度の山歩きには付き合ってくれたが、現在では全く興味がない。渋々着いてきてくれても気を遣ってしまうだろう。
 
 となるとひとり歩きのリスクを避けるためには、行かないのが一番安全ということになる。
 10人の山仲間も自分も、仕事がいそがしくなったり家族優先になったりして、なんとなく山へ行かなくなってしまったのだけれど、自分は2008年に低山ではあるものの一応「山歩き」を再開してみた。
 それはおもっていたよりもおもしろく、もう未知なる山を目指すことはないけれどただ山を歩いていれば楽しかった。いやしばらく山を歩かないと「とにかくどこでもいいから歩きたい」という気持ちが復活していた。
 しかしその自分の楽しみが、他人の楽しみを奪う可能性があるとなると心穏やかでいられない。
 ほんとに・・・もうそろそろ、ひとりで歩くならば山歩きは止めた方が好いのかもしれないい。
 とおもいつつも山桜が見たい、山つつじが見たい、奥武蔵でも歩くかなどとおもってしまうのだった。

↑このページのトップヘ