テイザニストもろーの山歩き

山歩き歴50年、今は低山を中心に歩いています。

2013年11月

 浦和のリーグ優勝なんてあきらめていた。
 今季の優勝は横浜だと自分を納得させていた。
 久しぶりの横浜優勝も悪くないよね、なんて・・・
 
 ところがだ、新潟が頑張ってくれて横浜を0点に抑え、そのうえ2点も取ったのだ。
 横浜の優勝を阻止してくれたのだ。
 それなのにそれなのに、ああ・・・
 
 浦和はアウェイとはいえ無様にも鳥栖の前に1-4で敗れてしまった。
 ああ情けない。
 
 これまで何度首位に立つチャンスがあっただろう。
 勝っていたはずの試合をいくつ落としただろう。
 
 浦和は「ここ」という試合を全部落としているのだ。
 こんなチームが優勝できるわけがない、とずっと前からわかっていたことだ。
 だからもうあきらめていたんだけれど、しかしそれでもわずかながらの、天に針で孔をあけたぐらいの小ささだけれど、横浜が負けて浦和が勝って首位に立つ、というシナリオに期待をしていたのだ。
 
 そしてそのわずかな期待のうち横浜が敗れるという期待は現実のものとなったのに・・・浦和のばかーっ!
 
 どこまでも裏切ってくれるのだなほんとに。
 大体ミシャはサッカーを形而上的に考えているんじゃないのか。
 まあそれは指導者の主張だから仕方ないとしても、しかしチャンピオン・スポーツとしてそれでいいのか。
 特に日本のファンはまだ成熟していないから、好い試合を見せてくれるより勝つ試合が見たいのだ。
 
 それなのにミシャはリーグ・カップの決勝戦でもそうだけれど、勝つための策を弄しているようにはおもえないのだ。
 とにかく、失点の多さが策のなさを表しているのではなのか。
 策があれば失点は防げるのだから。
 自分の哲学を貫くのは悪いことではない。
 ただそれに「勝利」が伴っていなければファンは悲しいばかりだ。
 
 もうほんとに来シーズンはあのザルのデイフェンスをなんとかしてくれ。
 そうでなければ、ミシャの指導者としての能力を疑わざるを得ないだろう。
 
 あ~あ、浦和が鳥栖に勝って、にも関わらず横浜も新潟に勝って優勝、だったらどんなにかよかったろう。
 
 優勝どころかACLの出場権さえ危うくなってきた。
 もうほんとにほんとに、浦和のばかーっ!!!!

 1週間遅れで日本代表のヨーロッパ遠征での試合を録画で見た。
 オランダという強豪と引き分け、そしてFIFAランキング5位というベルギーに勝った試合だから、これはもう気楽に見ることができたが、どちらの試合も「えーっ、こんな強いチームとほんとに引き分けなの、勝ったの」と驚いてしまった。
 いやはや、やっぱりヨーロッパの強豪つまり世界の強豪は、力強いしスピードがあるし技術はあるしで結果を知らなかったら「いや~、こりゃ何点取られちゃうんだろう」と試合の先行きを不安におもったことだろう。
 もう日本代表なんてどうでもいいから、オランダ、ベルギーのサッカーを楽しんじゃお、てな気持ちで試合を見たに違いない。
 ところが見ているうちに「これが前回のヨーロッパ遠征で情けない試合をした日本かいな」というぐらいに人とボールが回って、そしてパスがつながってなのだ。
 そしてこの2戦で5得点がみんな好いゴールばかりだった。
 そりゃ勝ったときのゴールなんてみんな好いのばっかりだけれど、えぐったり崩したり跳ばしたりのもう本当にニコニコしながら見てしまった。
 それに今回起用されたFWふたりが、いずれも1ゴール1アシストというのがうれしい。
 やはり複数の人間が結果を出して、切磋琢磨してゆかねば力が向上しないし未来がないからだ。
 そういった意味ではサイドバックやボランチ、MFの選手が試合ごと、あるいは時間で交代したのも、そしてそのパフォーマンスが落ちなかったのも明るい材料だった。
 
 現地では「バルサのような」と報道されているらしいが、いやはやほんとにあんなにパスが通るとはおもわなかったなあ。
 
 がしかし、喜んでばかりもいられない。
 5得点の代償に4失点しているのだ。
 しかも2戦とも1点目がつまらないミスからなのだ。
 どうも日本はアジアから出るとディフェンスが安定しない。
 5点も取ったんだから・・・という見方もあるかもしれないけれど、スペインやブラジルはディフェンスも安定しているのだ。
 本当に強いチームは点も取れるし守備も強いのだ。
 もちろん日本をスペインやブラジルと比べちゃダメかもしれないけれど、でもワールドカップでは同じステージに立つのだから、やはりそこはしっかりと修正しなくてはいけないだろう。
 
 まあそんなワールドカップやら先のことを考えなければ、録画ということもあって、もうほんとに久しぶりに(去年フランスに勝ったとき以来)日本代表の試合を楽しむことができました。
 
 それに引き換え浦和は・・・ああ。
 ホームで川崎に無様に敗れて、事実上の今シーズンの優勝は露と消えてしまった。
 あとはとにかく3位以内に滑り込むことを願うばかりだけれど、浦和もFWに競争がないしDFは弱くって追加時間に失点ばかりして、今シーズン優勝するわけないぞとはおおっていた。
 強いチームは失点が少ないし選手間の競争も激しいのだ。
 来シーズンも監督が同じのようだけれど、優勝するためにはとにかくDFだけでもなんとかしなくてはならないだろう。
 
 浦和はとにかく残念だったけれど、まあ日本代表がよい試合をしてくれたのが救いであった。
 

 景信山での閑話
 ところで今回の山歩きには久しぶりに縦走用のザックを出してきた。
 電車利用で縦走ともなると用心のために着替えやらなんやらといろいろ荷物が多くって、普段低山歩きに使っているサブザック程度では入りきらなかったからだ。
 このザックはアイゼンやピッケルや、カラピナやはたまたザイルをつけるなど、いろいろなことができるのだけれど、もう長い間使っていなかったから使い方がよくわからなくなってしまった。
 なんでこんなところにベルトが付いているのかわからない。
 それに確か2泊用であって、それを日帰りの山に持ってきたのだから隙間だらけである。
 荷が少ないからベルトがだらしなくぶら下がってしまう。
 しかし自重だけは重いのでこの頃になるとけっこう肩に負担が来てしまっていた。
 
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景信山~陣馬山 
 景信山を10時55分に出てまた尾根道を行く。
 ただ今度はもう尾根のコブをひとつひとつ越えて行くのではなくさっさと巻き道を歩く。
 それほどの上り下りもなく、こうなると鎌倉の丘を歩いているのとそう変わりはない。
 それにしても走っている人が多い。
 いわゆるトレイル・ランニングというやつだろう。
 一応山であり、それでいてそんなに激しい起伏のないこの尾根は格好のコースである。
 それにしても集団で走っているグループなんかがあって、そういったのを見ると「忍者部隊」か何かをおもいだしてしまう。
 そんな往来を見ながら、緩やかな山道をひた歩くうちに明王峠に出た。12時5分だった。
 
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 ここで少し考えた。
 これからまだ先の陣馬山を目指すか、ここで相模湖駅に下りてしまうかだ。
 というのはもう5時間も歩いているし、久しぶりに背負ったザックの重さが肩に来ているし、天気がくずれてきそうだし…である。
 また来てもいいかなとおもうのもも、しかしまだ12時じゃないかというおもいもある。
 指導標では陣馬山まで2kmとなっている。
 普通の道ならば30分だけれど山道である。
 楽に1時間はかかるだろう。
 景信山からここまでも1時間以上かかっているのだ。
 下山の時間も考えなければならないから、あと何時間歩けばいいのだろうか。
 体力が持つだろうかという心配があった。
 ただせっかく念願の「裏高尾縦走」なんだから、やっぱり陣馬山まで行こうと決めて先に進む。
 
 明王峠から陣馬山までは思っていたよりも全然楽な道だった。
 ほとんど登らしい登りはなかった。
 ゆるゆると少しづつ登ってゆくといった道で、これなら今の自分でもターボこそ入らないものの人並みの速さで歩くことが出来た。
 なんと追い抜きも出来た。
 そして考えていた時間よりもずっと早く、12時45分に陣馬山に着いてしまった。
 
陣馬山山頂
 ここでも最初に迎えてくれたのは茶店だった。
 それも緑色の人工物なので何か動物の檻でもあるかのようだった。
 
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 さらに登ってゆくと頂上だがここにも大きなモニュメントというかオブジェがあって、そして他にもいくつかの立派の茶店があることがわかった。
 それから陣場山が完全な東京都だとおもっていたけれど、神奈川県でもあったのだ。
 
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 さて陣馬山からの景色だが富士山が見える方向はこのとおり。
 
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 相模湖とおぼしき方面もこんな感じ。
 
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 まあ遠景はともかくとして、それではあのたおやかなススキの尾根はどこなんだろう。
 ここまでそういった道がなかったぞ。
 尾根を巻いてしまったのがいけなかったのか、それともまだもっと先に行かねばならないのだろうか。
 さすがにこれよりもまだ先の生藤山方面に向かう気はないので、とにかく高尾山から陣馬山まで歩いたことに満足して下山することにした。
 
 で下山路をどうするかだ。
 陣場山から一般的なのは陣馬高原下というところに出て、そこからバスに乗るルートであるけれどどうも自動車道路をだいぶ歩かなくてはならないようなのだ。
 ビブラム底の登山靴で舗装道路はちとキツい。
 それで明王峠までもどって、そこから直接相模湖駅に出るルートを行くことにした。
 
陣馬山~明王峠~相模湖駅
  陣馬山から明王峠は下りが多いからもう楽勝の道だった。
 この期に及んでターボがはいったかのようだった。
 30分ほどで陣馬山から明王峠着。
 明王峠から直下は階段の道だ。
 これでぐんと高度が下がるのだろう。
 
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 がそれが終るとこんどはトラバース道のような、平坦な道をいつまでも歩くようになる。
 裏高尾の縦走路はひっきりなしに登山客がいたけれど、こちらの道にはいったとたんに人がいなくなってしまって、ひとりきりになってしまった。
 裏高尾の尾根で「なんて人が多いんだろう、もっと静かな山かと」なんておもったのだけれど、山の神様がそんなら静かにしてやろうと願いを叶えてくれたらしい。
 しかし少し静か過ぎやしないか。
 空が雲に覆われていることもあって、杉林の中は薄暗くさえあった。
 そして少し心細くなってきた。
 どうせならtoto Bigの6億円でも叶えてくれればいいのだけれど、山の神様の範疇ではないのだろうか。
 
 それにしてもこの下山路の長いこと。
 4kmだというからすぐに駅に着いちゃうかとおもったけれど、何だか北アルプスの長塀尾根をおもいだしてしまった。
 が心配することもなく第一目標の與世神社に到着。
 思いのほか大きく立派な神社だった。
 
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 ここからはもう駅まですぐのはずだ。
 しかしそこからの階段の急なこと。
 
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 もうこのときはヨロヨロだったから、この階段でけっつまずいて転げ落ちるかとおもってしまった。
 階段を無事に下りて神社を過ぎ、中央高速道を越えると駅が見えてきた。
 ホームに人影が見えるのでもしかしたらとおもって、気持ち歩きを早めたがそんな努力もむなしく…目の前を上り電車が通り過ぎていってしまった。
 14時40分相模湖駅着。
 行動時間約7時間半は何年か前の丹沢表尾根往復以来である。
 
 しかしやはり1本電車を逃したは痛かった。
 中央本線で、神奈川県内なのに、次の電車まで45分も待たなくてはならなかったのだ。
すこし落胆したものの今日の山行きを振り返ったり、装束を街モードに切り替えているうちに時間は過ぎて行く。 
少し寒くなった夕方近くのホームで、山間からやってくるだろう電車を待っていると、しみじみと山を歩いてきた喜びを感じるのだった。

はじめに
山登りや山歩きをする人にとって、念願といえば槍穂だとか剣だとか、中々行くことのできない北海道の山々だったり、あるいは外国の山だったりするだろう。
 しかし僕の場合、高尾山から陣馬山までのいわゆる裏高尾といわれる尾根を歩くことが念願であった。
 下の写真は昭和56年版のアルパイン・ガイドである。
 奥多摩・奥武蔵なのだけれど、最後に申し訳程度に陣馬高原・高尾山という文字が見える。
 まあついでだから載っけておくかあ、というような扱いだ。
 
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 がしかし、裏表紙を見ると京王電鉄が全面広告を出していて、高尾山へと誘っているのである。
 
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 本の主旨からいえば、ここは国鉄か西武鉄道じゃないかとおもうのだけれど、この両者が広告費をけちったからか京王電鉄が太っ腹に高尾山の広告を出したのか、ともかく奥多摩・奥武蔵のGブックの表4広告が高尾山なのである。
 
 さらに巻頭ではカラー写真で「裏高尾」が紹介されていて、このススキに囲まれた緩やかで広いたおやかな尾根がいかにも「ハイキング」といった風情であり、当時20歳代だったのにも関わらず妙に懐かしい景色であったのだ。そして奥多摩同様に富士山が見えるのがやっぱり好いのである。
 
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それからここの山域の山名が何かにおう。
 景信山というのがある。
 これは頭に武田とか上杉とか北条とかを付けるとそのまま戦国武将の名前になってしまう。そして「城」山があって「陣馬」山があって、だ。
 何かある、そうおもいたくなる山域ではないか。
 
だから秋の1日、こんなのんびりした尾根を歩きたいものだとおもっていた。
 しかし、当時の自分にとって高尾山に行くというのは上野の山に行くのと同義語だった。
 これまで何回か高尾山に行っているが「登った」じゃなくって完全なピクニックであり、まさしく物見遊山であった。ただ1回だけ山靴を履いてケーブルカーにもリフトにも乗らずに、麓から歩いたことがあるけれど、それは森林インストラクター講習の実習時であって山靴が義務付けられていたからである。
 
 しかし最近の自分は体力が弱ってきて、高尾山=上野の山というほどでもなくなってきて低山とはいえ縦走なんかできるのかいな、という状態になってきてしまった。
 こりゃ早いとこ行っておいた方がいい、やるならこの秋だとおもい、コースタイムやら電車の時刻表やらを調べてみた。そしてついにその日がきたのだった。
 
アプローチ
 11月9日、天気はそれほどでもないけれど、まあ僕の場合は雨が降らなきゃ良い天気なんだからと言い聞かせ、決行のために早朝の家を出る。
最近は近所の低山ばかりに行っているのでアプローチは車ばかりだけれど、今回は縦走だから電車を利用する。横浜線を八王子で乗り換えたらホームにはたくさんの登山姿のひとたちが。
 これがみんな高尾山に行くのかいなとおもいきや、高尾行きの電車が来ても乗らない人の方が多いようだった。
 次の大月行きを待っているのである。
 高尾山如きではなく、もっと遠い山梨の山に行くのだろうか。
 ただ到着した高尾行きの通勤電車にもけっこう登山客が乗っていたので、やっぱり高尾山に行く人は多いんだと「安心?」する。
 がしかし・・・ここでハタと気が付いたのだけれど、僕はこれまで高尾山には京王電車でしか来たことがなかったのだ。
 電車が高尾に付いたけれどこれからどうしていいのかわからない。
 見れば京王線への乗換口がある。ここは絶対に京王線に乗り換えよう、たった30秒しか乗らなくても京王線だと迷わず乗り換えた。
 しかし高尾で電車から吐き出された多くの登山客の姿はない。
 どこへ行ってしまったんだろう。
 
高尾山へ
 まあとにかく高尾山口の駅に着いていよいよ山歩き開始、7時20分だ。
だが、ここでまた迷う。
 以前麓から歩いたのがどこからだったか忘れてしまっていたのだ。
 それでとにかく人が行く方へ付いてゆく。
 するといきなり山道の登りになる。
 ただそれを過ぎると平坦な山道。
 ケーブルカーで楽した時に歩く尾根と谷を挟んでひとつ南側の尾根だ。
 途中で木々が開けたところで東京方面を望むことができ、曇り空とはいえそのときはスカイツリーを確認することができた。
 やがて丹沢方面が望めるようになったきたが上の方は雲の中である。
 
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 それにしても自分の体力の弱さ、足腰のダメッぷりを感じる。
 こんな山でもどんどん抜かれて行ってしまうのだ。
 若い頃は上り坂ではターボが入ったものだけれど、今はスロットルを全開にしてもプスプスと後退してしまうのである。
 どうしてこんなに弱ってしまったのかわからないけれど、以前はコースタイムの80%で歩くことが目標だったのに、今では130%が普通になってしまった。
 膝は痛いし腰もダメで仕方ないとはおもう。
 高尾山へは歩いて行くとどこのコースでも90分らしい。ということは自分は2時間近くかかってしまうのだろうか。山道を歩きながら、やっぱり舗装された遊歩道を行けばよかったとおもう。
 とおもったところで80分で山頂へ着いてしまった。8時40分着。
 山頂は紅葉が綺麗だった(写真はダメだが)。
 
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 そして意外にも横浜やさらに相模湾、江ノ島が見えるのだった。
 こんな早い時間に高尾山の山頂付近に来たのは初めてであり、だから平野部の景色を眺めるのも初めてだった。ピクニックで来たときは午後だもんなあ。
 もうこれで満足して下りてしまってもよかったけれど、しかし人工物が建ち並ぶ山頂では山に来た感じが全然しない。ここが目的地でないのだからひと休み後、景信山を目指して歩き出す。
 
高尾山~城山
 山頂から下るとすぐに道がいくつにも分かれている。
 どれを行けばいいのか迷ってしまうが、こういったときには尾根道を行けば間違いないので登りの道を行く。
 道は木の階段が多くて、これは歩幅が合わないので歩きづらい。
 
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 ただしこれらは歩くためにあるのではなく、土の流出防止のためにあるのだから仕方ないのだ。
 と歩くうちに一丁平というところに到着。
 
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 ガイド・ブックによれば、高尾山を過ぎれば「裏高尾」らしいけれど先ほどは茶店があったし、ここではピクニック広場みたいなのがあって、「裏」というような静かなイメージではない。
 さらに尾根を上り下りしたが何だか巻き道を行った方がずっと楽そうだ。
 だんだん後悔しながら歩いているうちに9時40分城山到着。
 
 と、ややや、山頂には茶店がででーんと控えていて、それを取り囲むようにおびただしい数のテーブルとベンチが。どこが頂上だかわからない状態。
 電波塔の大きな建造物もあって、山頂なのに街状態だ。
 もっと静かなただずまいかとおもっていたけれど、やはり裏とはいえ高尾山の山域なのだ。
 頂上を示すものが茶店しか見当たらないので、仕方なくその写真を撮る。
 
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 城山~景信山
 山頂を後にして尾根歩きに戻る。
 だんだん杉の植林が多くなって、暗くなったような気がしないでもない。
 そして城山を過ぎた頃から反対方向から来る登山者とすれ違うようになる。
 いったいどこから来たのだろうか。
 陣馬山からこんなに早くここまで到達するのだろうか。
 なんておもううちに木立に囲まれてやや薄暗い小仏峠着。10時10分。
 
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 小仏という名前は峠よりも今はトンネルの方がとおりがいい。
 しかし僕が子供のとき、まだ中央高速道がなかった20号線の頃、大垂水峠を小仏峠と呼んでいたような気がするのだけれど勘違いだろうか。
 それにしてもなんでタヌキなのかよくわからない。
 
 縦走のつらいのは登ったと思ったら下り、下れば下ったでまた登らなければならないことである。
 峠に下りたからには今度は登りが続くことになる。
 低山とはいえ登りはキツい。
 またまた抜かれてゆくことになる。
 それにしてもすれ違う人が多くなってきた。
 たまらずどこから来たのかと問うてみると小仏のバス停からだという。
 もし天候でも悪くなったら下山路に使おうとおもっていたルートだ。
 登ってもよかったんだとおもう。
 と、そんなことを考えているうちに10時40分、景信山に到着。
 ここも茶店がどどーんと店を構えていて頂上の所在がわからない。
 
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 どうも想像していたようなロマンチックな雰囲気ではない。
 八ヶ岳は小屋が多くって小屋が岳なんていわれた時代があるけれど、裏高尾とは茶店ヶ尾根だ。
 それだけのマーケットのある山域なのだろう。
 それにしてもさらに先に行きたいのに、茶店があるのでどこへ行けばいいのかわからない。
 テキトーに茶店の横を回り込むとそこに本当の頂上があった。
 
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 眺望も好い。
 相模方面が意外にもよく見えて、相模湾とそして江ノ島が見えた。
 思いのほかこの山域は平野部にせり出しているようだ。
 もちろん武蔵の国は一望だ。ただし晴れていればであって、この頃はもう東京方面はほとんど雲に覆われてしまっていた。ただ西武ドームの白い屋根が印象的だった。
 
                                                        続く・・・

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