西武秩父線を廃止にするなんてことをアメリカの投機会社が言い出して、廃線反対の声があちらこちらから上がり僕も反対だったけれど、今回の西武鉄道の株主総会で否決されたとかで一安心である。
でもまだアメリカの投機会社が絡んでいる限り再燃する恐れは残るだろう。
僕が子供の頃は西武線は吾野までしか行ってなかった。
だから家族ハイキングなどで正丸峠-伊豆ヶ岳に行くのには、吾野からバスに乗って正丸峠まで行ったものである。吾野から正丸峠まではけっこう距離があって、それを子供づれの家族がバスで行ったのだから大したものだ。多分道路も舗装されていなかったんじゃないだろうか。
それでも今は正丸トンネルが出来て峠の方は見る影もないけれど、当時はあれでいっぱしの観光地だったらしくバスなんかけっこう混んでいて、正丸峠から伊豆ヶ岳まで人の列が続いていたような記憶がある。
今から考えれば物見遊山もいいところだった。
その先に秩父という地があることを地図ではわかっていたけれど、正丸峠から見えるのは山ばかり。
秩父は雲煙の彼方にある別世界のようにおもえたものだ。
子供の頃のこの地域の思い出はそれだけだ。
それ以来全く縁のない地域だった。
ところが10年後、山に登るようになってしまったのだ。
最初に行ったのは八ヶ岳の天狗岳だったのだけれど、それでけっこう山に嵌ってしまってそれ以来長野や山梨方面の山に行くようになったのだ。
ただ当時の山登りというのは「夜行列車」で行くのが普通で、バスやタクシーも使わなければならず交通費を考えてもけっこう大変であってそうちょくちょくは行けるものでもなかったとおもう。
しかし山に嵌るととにかく山を歩きたくなってしまうもので、もう近場でもどこでもいいから山へ、とおもったら奥武蔵・秩父方面があったのだった。
そして奥武蔵・秩父方面といえば何といっても「東京から見える山」である武甲山だろうと、その目的で初めて乗ったのが吾野より先の西武秩父線だった。
このときは表参道コースという、もっとも一般的なコースを行ったので電車も横瀬で下りてしまったけれど、芦ヶ久保の駅からだんだん盆地に下ってゆくと秩父の市街地が開けてきて、それはまさに盆地であって、その気分は松本や長野、会津若松などが近付いてくるのと同じものだった。
正丸トンネルを抜けることで関東平野との分水嶺を越える秩父は、箱根や日光とはことなる私鉄電車で行ける東京からもっとも近い別世界だったのではないだろうか。
それから秩父方面の山にはよく行くようになってしまったので、西武秩父線もとにかく乗った。
最初に行った武甲山は単独だったけれど、次には友人を誘って北参道からも登ってみた。
今は石灰採掘で低くなってしまったし、北面は立ち入り禁止になってしまったけれど、当時は北面の岩道を行くルートもあったのである。ただし、発破時間になるとサイレンが鳴って避難小屋で待たなくてはならなかった。
このときに初めて特急レッドアローを利用したのだけれど、これが怪しからぬことに武甲山の最寄り駅である横瀬の駅には止まらず、その手前の芦ヶ久保駅に停車するのだった。
だからそのまま西武秩父の駅まで行って、そこからタクシーまでまた戻るような形で登山口に入ったのである。
でもやはり指定席は快適だったから、それ以来レッドアローは何回使ったことだろう。
両神山や雲取山にはそれぞれ複数回行っているのでその度に使い、また熊倉や秩父御岳、名栗方面から下山、あるいは芦ヶ久保駅を最寄とする奥武蔵の山、等々。
秩父へ行くときは池袋発6時37分だかだったかがお馴染みの電車だった。
しかしハッキリ行って、当時のレッドアローはダサかったなあ。
黄色に赤というテッカテカのあの配色はどう考えても垢抜けなかった。
それに上りにであれ、下りであれ、飯能駅でのスイッチバックのために座席の向きが反対になっちゃうのも興醒めだった。
現在はニュー・レッドアローとかでちょっとは格好よくなったんじゃないだろうか。
でもこれが出てきてから久しいから、もうニューでもないかもしれない。
ところで、レッドアローばかりが秩父行きに便利なのではなくって、土曜・休日の快速急行というのも使える電車だった。
子供の頃に登った伊豆ヶ岳に行ってみようとおもったときに、レッドアローは伊豆ヶ岳最寄駅である正丸には停車しなかったからだ。
最初は普通の通勤電車車両だったものが、やがて白にブルー・レッド・グリーンのトリコロール・ラインが入った、ボックスシートの車両になったのだが、それが登場したときはもう僕はピクニック程度の山歩きしかしなくなっていたので、長瀞方面に行くときに利用するぐらいだったかな。
そうそう、秩父というところは旧い歴史的建造物があちこちにあるわけでもなく、温泉が豊富に涌いているわけでもなく、全く持って一見地味な観光地であるのだがこのマイナーなところに深い味があるようで、嵌る人間はけっこう深く嵌ってしまうようだ。
僕もそのひとりだったけれど、僕の友人はもっと嵌ってしまい、カメラ片手にかなりの頻度で秩父を歩いていたようで、たまにそれに付き合ってレッドアローに乗ることもあった。
井出孫六は「秩父へは足を使って入らねばならない」というようなことを書いていて、それは秩父が峠に囲まれた地だからなのだけれど、そしてそれはそうだけれど、さすがに今や歩きというのは無理である。
しかしやはり電車で、西武秩父線に乗って、正丸峠を抜けて武甲山を瞥見して秩父に入るが一番だとおもう。
なにしろ秩父は蕎麦と酒がうまいところだから、クルマで行ったらそれが出来ないではないか。
僕らが電車で秩父の山へ行ったのも、実は山そのものよりも秩父での「アフター登山」が主目的だったとおもえなくもない。
ああ、レッドアローにのって昔のように秩父へ行きたいのだが・・・