伊豆に行く用事があった。
2時に伊豆高原での約束だ。
それならば、その前にいっちょ天城山にでも登っておくかとおもった。
天城山のためにわざわざ伊豆までクルマを運転して行くのはかったるいけれど、仕事で行くなら仕方ない。
こうちさんのブログによれば、万二郎・万三郎・四辻を周回し随所に休憩を入れてコースタイム4時間になっている。
ということは随所で休憩しなければ3時間とか3時間半だろうと軽く見積って、だからノンビリと家を出たのだけれど、これがそもそも間違っていた。
意外と時間がかかって、登り口である天城高原ゴルフコースの駐車場に着いたのは9時45分で、自分の見積もりよりも45分遅れだった。
それでもまあ「随所で休憩」をしなければ、ダイジョブだろう、だった。
天城高原ゴルフコースの駐車場と聞いていたので、ゴルフ場の駐車場を山歩きのために図々しくも利用してしまうのかと、少し肩身の狭い思いがあったのだが行ってみたらキチンと「ハイカー用」の駐車場だった。
しかもスーパー・マーケットのように綺麗に整備された駐車場だった。
3月下旬という、花が咲いているわけでも紅葉でもなく、はたまた厳冬期のように空気が澄んでいて景色が好いわけでもない、こんな日でもけっこう登っている人がいるらしい。
しかもさすがに深田久弥の100名山という「ブランド山」なので、駐車されているクルマのナンバーがけっこう遠いところの地名だ。
倉敷なんてのもある。
もっとも倉敷から転勤してきて、静岡か神奈川に住んでいる人かもしれない。
登山口の道標もしっかりしていて、「登山口はどこ?」なんて逡巡することもない。
しばらく歩いて四辻へ。
ここでノンビリしている場合じゃないことに気がついた。
道標のコースタイムには、万二郎を越えて万三郎まで125分になっている。
単純に考えると、行って帰ってくれば240分。
それじゃ休憩して、カップ麺食べてお結び食べての時間がないじゃないか。
いやいや、駐車場には遅くとも13時半に帰って来ないと、仕事の約束である14時伊豆高原が難しくなりはしないか。
考えてみれば、ブログにあるこうちさんはタフな人だ。
だから随所に休憩でも4時間だったのだ。
もうめっきりと体力の落ちた自分じゃ、コースタイムどおりかそれ以上の時間がかかるのだから、休憩なんかしている場合はもちろん、昼食だって摂っている場合じゃないのだ。
それからはずんずん歩いた。
万二郎まではトラバース気味の緩やかな登りで、それがまどろっこしかった。
けっこう登ったとおもったところで眼下にゴルフ場が見えたが、その近さにがっかりした。ちっとも登りを稼いでないのだ。
それにしても、さすがに「暖国伊豆」の山だ。
植生が常緑広葉樹が目立つ。
けっこう高いところを歩いているのに、海岸近くの森にいるようだ。
そして万二郎頂上着。
四辻から50分。
道標では55分になっていたから5分の短縮だ。
木々に覆われていて景色もないからとっとと先を急ぐ。
万二郎から万三郎までは道標では70分となっていたので、10分ぐらいは短縮したいとおもった。
万二郎から1度鞍部に下りるのだが、その途中、縦走路の先に万三郎とおぼしき山が見えた。
前山が大きく立ちはだかっているので、本峰が小さく突起状にしか見えない。
とにかく前山を越えるのが「山」とばかり先を急ぐ。
アセビのトンネルやらシャクナゲの群落やらがあって、その季節はさぞやとおもうのだが今は青い葉っぱでそれとわかるだけ。
その他はまだ冬枯れの状態でどこかぼやけてかすれた景色、けれども気温が高いから道は泥濘だ。
ほんとに条件が悪い。
そんな中をひたすら歩く。
やがて飯を持ったような形の万三郎の直下へ。
あとひと登り、ということは標高は1300メートルぐらいのところだろう。
がそれでも植生は常緑広葉樹だ。
最後に踏ん張って万三郎頂上着。
万二郎から60分。丁度12時だった。
しかしこの頂上も樹林に覆われていて何ら景色がない。
わずかに駿河側に開けたところがあるだけだ。
頂上には着いたばかりの一組と、すでに付いて昼食を摂っていた一組とがいたけれど、先を急ぐので写真を撮っただけで出発。
この頂上の道標のコースタイムだと、涸沢分岐・四辻を経て駐車場まで125分になっていた。
ジョーダンじゃなない、それじゃ約束の時間に間に合わないじゃないか。
ということは下りで時間を稼がなければならぬ。
て、ことでガンガン下る。
最近は膝の調子が悪くって、昔のように下りを飛ばすことなんてないのだけれど、この際仕方ない。
空腹を覚えるが食事なんてしてる場合じゃないので、ビスケットやチョコレートなどの行動食または非常食を、立ったままで口に入れお茶で流し込む。
やがて涸れた沢が出現する。
涸沢という地名の基はここにあるのだろうか。
ということは涸沢分岐とやらも近いに違いない、とおもったらすぐにその道標が出てきた。
頂上の道標のコースタイムではここまで60分になっていたが、なんとか30分でたどり着いた。が、ここの道標は新旧ふたつあって、ひとつの道標(新)には駐車場まで75分になっていて、もうひとつ(旧)は60分になっていた。
ここは60分を採用して、それをどこまで短縮できるかにかけてみた。
60分ならば丁度好い時間だし、これを短縮すれば、駐車場でお結びぐらいは食べられるぞとおもった。
道はトラバースで、しかしさらにまたかなり下ってしまう。
やがて涸れた沢が次々に出現し、苔むした石もたくさんあって、それがなんだか北八ヶ岳のようだった。
そしてコースは完全にトラバース道になって、走りでもしないと時間の稼ぎようがなくなる。しかし僕の皮製ビブラム底の山靴は走るには全く適していない。いやいやそれ以前に体力的に走れない。
とにかく「13時半に駐車場」を呪文のように頭の中で唱え歩き続ける。
そして13時10分に四辻。さらに頑張って13時20分になんとか駐車場着。
ああよかった。
短縮した10分を使ってお結び食べて身づくろいをして、約束の14時に間に合ったのでした。
ところで深田久弥の100名山に登ったのは20年ぶりのことだ。
最後に登ったのが苗場山だった。
それ以来山歩きをしなかったということもあるけれど、実は僕は100名山漁りというのが好きではない。
僕の先輩は高校・大学と山に登り、さらに20歳代の半ばまで山(ヒマラヤ)に入っていて、まるで山暮らしをしているような人だった。
意識することなく100名山のほとんどを登ってしまっていて、僕が連れられていった頃はもう落穂ひろいの状態だった。
お陰で荒島岳なんていうマイナーな山にも登らせてもらったけれど、山計を立てるときに何かと「100名山」が基準になってしまって、僕が行きたい山が却下されることが多かったのだ。
この先輩の場合はもう登りりつくしていたから仕方ないとしても、自分はそれ以外の山も楽しみたかったし、さらには1980年代後半に中高年登山ブームがやってきて、それが100名山が基準になっていると聞くに及んで、もう100名山はいやだ、とおもったものだった。
でも深田久弥の100名山に教えられた山もたくさんあって、だから苗場山にも行ったわけだから、全く否定しているわけでもない。
今は自分も立派な「中高年」になり、今回も天城山が100名山だから時間をとって登ったわけだし、そして自分の登った100名山がひとつ増えたということは、やはり素直に嬉しいものです。