テイザニストもろーの山歩き

山歩き歴50年、今は低山を中心に歩いています。

2012年03月

 伊豆に行く用事があった。
 2時に伊豆高原での約束だ。
 それならば、その前にいっちょ天城山にでも登っておくかとおもった。
 天城山のためにわざわざ伊豆までクルマを運転して行くのはかったるいけれど、仕事で行くなら仕方ない。
 こうちさんのブログによれば、万二郎・万三郎・四辻を周回し随所に休憩を入れてコースタイム4時間になっている。
 ということは随所で休憩しなければ3時間とか3時間半だろうと軽く見積って、だからノンビリと家を出たのだけれど、これがそもそも間違っていた。
 意外と時間がかかって、登り口である天城高原ゴルフコースの駐車場に着いたのは9時45分で、自分の見積もりよりも45分遅れだった。
 それでもまあ「随所で休憩」をしなければ、ダイジョブだろう、だった。
 
 天城高原ゴルフコースの駐車場と聞いていたので、ゴルフ場の駐車場を山歩きのために図々しくも利用してしまうのかと、少し肩身の狭い思いがあったのだが行ってみたらキチンと「ハイカー用」の駐車場だった。
 
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 しかもスーパー・マーケットのように綺麗に整備された駐車場だった。
 
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 3月下旬という、花が咲いているわけでも紅葉でもなく、はたまた厳冬期のように空気が澄んでいて景色が好いわけでもない、こんな日でもけっこう登っている人がいるらしい。
 しかもさすがに深田久弥の100名山という「ブランド山」なので、駐車されているクルマのナンバーがけっこう遠いところの地名だ。
 倉敷なんてのもある。
 もっとも倉敷から転勤してきて、静岡か神奈川に住んでいる人かもしれない。
 登山口の道標もしっかりしていて、「登山口はどこ?」なんて逡巡することもない。
 
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 しばらく歩いて四辻へ。
 
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 ここでノンビリしている場合じゃないことに気がついた。
 道標のコースタイムには、万二郎を越えて万三郎まで125分になっている。
 単純に考えると、行って帰ってくれば240分。
 それじゃ休憩して、カップ麺食べてお結び食べての時間がないじゃないか。
 いやいや、駐車場には遅くとも13時半に帰って来ないと、仕事の約束である14時伊豆高原が難しくなりはしないか。
 考えてみれば、ブログにあるこうちさんはタフな人だ。
 だから随所に休憩でも4時間だったのだ。
 もうめっきりと体力の落ちた自分じゃ、コースタイムどおりかそれ以上の時間がかかるのだから、休憩なんかしている場合はもちろん、昼食だって摂っている場合じゃないのだ。
 
 それからはずんずん歩いた。
 万二郎まではトラバース気味の緩やかな登りで、それがまどろっこしかった。
 けっこう登ったとおもったところで眼下にゴルフ場が見えたが、その近さにがっかりした。ちっとも登りを稼いでないのだ。
 それにしても、さすがに「暖国伊豆」の山だ。
 植生が常緑広葉樹が目立つ。
 けっこう高いところを歩いているのに、海岸近くの森にいるようだ。
 
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 そして万二郎頂上着。
 四辻から50分。
 道標では55分になっていたから5分の短縮だ。
 
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 木々に覆われていて景色もないからとっとと先を急ぐ。
 万二郎から万三郎までは道標では70分となっていたので、10分ぐらいは短縮したいとおもった。
 
 万二郎から1度鞍部に下りるのだが、その途中、縦走路の先に万三郎とおぼしき山が見えた。
 前山が大きく立ちはだかっているので、本峰が小さく突起状にしか見えない。
 
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 とにかく前山を越えるのが「山」とばかり先を急ぐ。
 アセビのトンネルやらシャクナゲの群落やらがあって、その季節はさぞやとおもうのだが今は青い葉っぱでそれとわかるだけ。
 その他はまだ冬枯れの状態でどこかぼやけてかすれた景色、けれども気温が高いから道は泥濘だ。
 ほんとに条件が悪い。
 そんな中をひたすら歩く。
 やがて飯を持ったような形の万三郎の直下へ。
 あとひと登り、ということは標高は1300メートルぐらいのところだろう。
 がそれでも植生は常緑広葉樹だ。
 
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 最後に踏ん張って万三郎頂上着。
 
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 万二郎から60分。丁度12時だった。
 しかしこの頂上も樹林に覆われていて何ら景色がない。
 わずかに駿河側に開けたところがあるだけだ。
 
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 頂上には着いたばかりの一組と、すでに付いて昼食を摂っていた一組とがいたけれど、先を急ぐので写真を撮っただけで出発。
 この頂上の道標のコースタイムだと、涸沢分岐・四辻を経て駐車場まで125分になっていた。
 ジョーダンじゃなない、それじゃ約束の時間に間に合わないじゃないか。
 ということは下りで時間を稼がなければならぬ。
 て、ことでガンガン下る。
 最近は膝の調子が悪くって、昔のように下りを飛ばすことなんてないのだけれど、この際仕方ない。
 空腹を覚えるが食事なんてしてる場合じゃないので、ビスケットやチョコレートなどの行動食または非常食を、立ったままで口に入れお茶で流し込む。
 やがて涸れた沢が出現する。
 
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 涸沢という地名の基はここにあるのだろうか。
 ということは涸沢分岐とやらも近いに違いない、とおもったらすぐにその道標が出てきた。
 頂上の道標のコースタイムではここまで60分になっていたが、なんとか30分でたどり着いた。が、ここの道標は新旧ふたつあって、ひとつの道標(新)には駐車場まで75分になっていて、もうひとつ(旧)は60分になっていた。
 ここは60分を採用して、それをどこまで短縮できるかにかけてみた。
 60分ならば丁度好い時間だし、これを短縮すれば、駐車場でお結びぐらいは食べられるぞとおもった。
 道はトラバースで、しかしさらにまたかなり下ってしまう。
 やがて涸れた沢が次々に出現し、苔むした石もたくさんあって、それがなんだか北八ヶ岳のようだった。
 
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 そしてコースは完全にトラバース道になって、走りでもしないと時間の稼ぎようがなくなる。しかし僕の皮製ビブラム底の山靴は走るには全く適していない。いやいやそれ以前に体力的に走れない。
 とにかく「13時半に駐車場」を呪文のように頭の中で唱え歩き続ける。
 そして13時10分に四辻。さらに頑張って13時20分になんとか駐車場着。
 ああよかった。
 短縮した10分を使ってお結び食べて身づくろいをして、約束の14時に間に合ったのでした。
 
 ところで深田久弥の100名山に登ったのは20年ぶりのことだ。
 最後に登ったのが苗場山だった。
 それ以来山歩きをしなかったということもあるけれど、実は僕は100名山漁りというのが好きではない。
 僕の先輩は高校・大学と山に登り、さらに20歳代の半ばまで山(ヒマラヤ)に入っていて、まるで山暮らしをしているような人だった。
 意識することなく100名山のほとんどを登ってしまっていて、僕が連れられていった頃はもう落穂ひろいの状態だった。
 お陰で荒島岳なんていうマイナーな山にも登らせてもらったけれど、山計を立てるときに何かと「100名山」が基準になってしまって、僕が行きたい山が却下されることが多かったのだ。
 この先輩の場合はもう登りりつくしていたから仕方ないとしても、自分はそれ以外の山も楽しみたかったし、さらには1980年代後半に中高年登山ブームがやってきて、それが100名山が基準になっていると聞くに及んで、もう100名山はいやだ、とおもったものだった。
 
 でも深田久弥の100名山に教えられた山もたくさんあって、だから苗場山にも行ったわけだから、全く否定しているわけでもない。
 今は自分も立派な「中高年」になり、今回も天城山が100名山だから時間をとって登ったわけだし、そして自分の登った100名山がひとつ増えたということは、やはり素直に嬉しいものです。

 今年2012年は1月1日に大山に行ったきり、2ヵ月半山を歩いていない。
 土日に仕事が入っていたり天候が良くなかったり、いろいろな理由でゆけなかったのだけれど、気持ちはずーっと山の中(といっても低山だけど)を歩きたかった。
 特に関東地方にけっこうな雪が降った後などは、白くなった稜線を眺めながら指を加えている状態だった。
 
 今日も別に山へ行く予定なんてなかった。
 起きたのも6時半だ。
 山歩きには、早出早着きを信条としている自分にとって、もう山の中を歩いている時間だ。
 けれども天気予報を見たら今週末もあまり好い天気ではなさそうだ。
 それならば晴れてる今日、いっちょどこか歩いてくっかぁとおもった。
 でも心の準備も身体の準備も食計も何もないから、そして時間もないから、行くなら近場で短時間で、だ。
 で、考えた。
 金時山とか大山とか。
 でもなあ、大山は行ったばかりだし、金時山は箱根の渋滞に嵌りたくないし。
 そうだ三ノ塔でも行ってくっかな、ということで家を出た。
 
 といっても車で登り口まで行くのにどうしても1時間かかってしまう。
 菩提峠の駐車場に着いたのは9時45分。
 夏山・北アルプス縦走ならそろそろ昼飯だなんて時間だ。
 とはいえまだ登り始める人もいる。
 表尾根を縦走して塔ノ岳へ向かうのだろう。
 三ノ塔で帰る自分に後ろめたさを感じてしまう。
 
 しかし登り始めれば山は山だ。
 林道を歩いて山道に入って、木々の中を歩けば気持ち良く、山の匂いで晴れ晴れとしてくる。
 高みに出て振り返れば大山が、その名の通り大きくデンと構えている。
 
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 足下には相模平野とそして相模湾と。
 もう時間も時間なので、気温が上がって霞みがかかってしまって、江ノ島はぼんやりとしか見えなかった。
 
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 このところようやっと春めいてきて、雪もすっかり融けて「丹沢名物」のぐちゃぐちゃ道になっていたけれど、ところどころに見られる残雪はけっこうな塊だ。
 2週間前なら、それこそ北八ヶ岳の雰囲気を味わえるような、稜線雪道歩きが出来たに違いない。
 
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 ぬかるみに足を取られながら二ノ塔へ。
 それから下ったところで富士山を望見。
 ひと登りで三ノ塔頂上着。
 
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 頂上とはいえ、表尾根縦走の「通路」だからほとんどの人は休憩する程度。
 自分もまだまだ元気で、この調子ならこのまま縦走して塔まで行けないことはないとおもう。
 
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 確か2009年以来縦走していないから、そろそろ行ってみたいところだがなにしろ行くのは好いけれど車まで戻ってこなくてはならない。
 2008年のときは楽勝だったけれど、2009年のときは帰りの烏尾から三ノ塔の登りでへたばり、ご高齢のご婦人に追い抜かれてしまったのだった。
 その表尾根の縦走路とそれから主脈の一部を一望し、またの機会にねと三ノ塔頂上を来たほうへ下り始める。
 
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 ここで帰るのなんか自分しかいないから、やはり忸怩たるおもいになるがもろもろ事情があるから仕方ない。
 思えば40年近く前、丹沢への初見参が3月だった。
 そして2008年に山歩きを復活させて、丹沢に来たのも3月だった。
 できれば今月、もう1度ぐらいキチンと歩きたいものなのだが・・・。

 僕が浦和の試合のテレビ中継を見ると大抵浦和が負けてしまう。
 よくしたもので、中継のあるときは何かしら用向きがあって中継を観られることは少ない。それでも浦和が負けていたりするので、これは根本的に浦和に問題があるのだろうな。
 
 2012年ホーム開幕戦である柏との試合も観るかどうか迷った。
 けど大した用向きもなく、テレビ中継を観てしまった。
 ところが浦和の動きが好いではないか。
 パスの練習をしているようなノロノロした昨年までのまどろこしさでなく、ゴールこそが目的、という意識で動いているようだった。
 得点は決してその連動性から生まれたものではないし、そして後半はさすがに前年チャンピオンの柏が攻勢をかけてきて危うい場面もあったけれど、守備の意識も高くなんとか逃げ切ることが出来た。
 勝ちは勝ちだ。
 前年のチャンピオンに浦和が勝てた!
 
 ああ、終了の笛が待ち遠しかったこと。
 アディショナル・タイム5分と知った後はもうドキドキで、浦和がもう1点取ることよりも早く試合が終ることを願った。
 そして僕としては浦和の内容がけっこうよくおもえたので、得点がどうあれ嬉しい試合だった。
 
 その他に、その試合結果を僕が気にしている松本山雅FCもJ初勝利で、それから同じように気にしている千葉も甲府も勝って、よかったよかった。

 シリアに無様な負け方をして、1度はプレーオフも覚悟した、というよりもあきらめかけた日本のロンドン・オリンピックの出場だったけれど、マレーシアに4-0で勝って、そしてバーレーンに2-0で勝つことによって、辛くもロンドン・オリンピック出場を決定。
 
 昨夜は家人にフェイントをかけて、ライブを見ずに録画予約。
 結果がわからないようにして夜寝静まってから録画を見るつもりだった。
 幸い家人は今夜大事な試合があるということを知らなかったようで、こちらも気取られぬよう何食わぬして他のテレビ番組を見ていた。
 すると家人が席を外したので、その隙にチャンネルを替えてみる。
 前半、まだ点が入っていなかった。
 しかし日本が好い形を作っていた。
 と家人復帰の気配。
 あわててまたチャンネルを替える。
 
 そうこうするうちに緊急地震速報。
 大したことないだろうとおもっていたのだけれど、これがけっこう揺れて・・・
 これを契機に家人が寝室に入った。
 
 となるとこちらのものだ。
 チャンネルをサッカー中継に合わせる。
 そしたらありゃりゃ、日本がもう2点も入れている。
 清武のゴール・シーンが再生されている。
 その後も日本にチャンスが何回かあり、もう1ゴールを願ったのだけれど、そこに永井を投入。マレーシア戦でもそうだったけれど、永井が入るとどうも連動のリズムが崩れるようだ。
 
 とにかく日本はロンドン・オリンピック出場を決めた。
 地震のお陰でバーレーンがひるんだからか(映像を見る限りではピッチレベルでは揺れを感じていないようだ)、地震があって家人が寝室に入ったせいか・・・地震が何らかの影響を与えたのか。
 しかしオリンピックとはいえ「フットボールの母国」で開催される世界大会だ。
 これに出ないでどうすんだ、とおもっていたのでホッとしている。
 これでこの夏にはふたつめの楽しみが出来た。
 
 おもえば1968年のメキシコの後、70年代、80年代と、日本は20年以上もオリンピックには縁がなかった。ワールドカップなんてはるか彼方に霞む存在だった。
 ところが1996年にようやくアトランタ・オリンピックに出て以来、気が付けば5大会連続だそうだ。
 シッポさえかじることの出来なかった20年前を考えると隔世の感がある。
 ただ、もう出場するだけでは意義がないのではないか。
 次大会に出場できる保証などないのだから、出た大会ではそれなりの結果を残す必要があるだろう。
 ロンドンではそれが実現するよう期待しています。

神奈川県小田原市の曽我梅林は大体2月中旬から下旬に
一番の見頃になるとおもっています。
満開で散る花、満開の花、5分咲きの花、咲き始めの花が
全部揃って、「梅の花だらけ」になるのです。
ところが今年は2月下旬はちっとも咲いていなくって、
春まだ遠しの感がありました。
 
3月初旬にようやっと咲きはしましたがまだまだ花の開いていない木が
たくさんありました。
 
そして3月11日、あの日から1年、ようやく梅の花が見頃を迎えました。
 
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僕は「春が来た!」を梅の花から感じます。
まだまだ寒い1月、けれども野山に出ると陽だまりは暖かく、
小さな花が咲いていることで春が近付いているのを感じます。
そして2月に梅の花が咲くと、今年も春が来たなあとつくづく感じます。
 
 
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例えば秩父長瀞の宝登山では、まだ雪の残る寒い1月でも蝋梅が咲きますが
そんなときでも実に春を感じてしまいます。
 
そしてそれでもまだ寒い風の中、けなげに咲いている梅の花に一所懸命さを
感じるのです。
ところで見頃を迎えた小田原市曽我の梅林ですが、梅祭りは終ってしまって、
梅林は人影がまばらで、これだけ咲いているのにとってもに静かで、
何だか別世界にいるようなのでした。

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