テイザニストもろーの山歩き

山歩き歴50年、今は低山を中心に歩いています。

2011年03月

 こんなことを言うと、顰蹙ものかもしれませんが今日本は戦争をしています。
 敵は「震災」です。
 そのために10万人の軍隊(自衛隊)を投入し、外人部隊(海外救援隊)も志願兵部隊(ボランティア)も動員されています。輜重隊も医療隊も、そして工作隊も揃っています。
 どうしようもない士官揃いながら、多数の核弾頭ミサイルからの防衛最前線を戦っている部隊もあります。
 
 それなのにそれなのに、一体誰が総司令官なのでしょうか。
 指揮系統ってどうなっているのでしょうか。
 これだけの兵員が展開しているのに、誰が作戦を立てて誰が指揮しているのか、全然見えていません。
 なんだか小隊レベルでてんでんバラバラに動いているように思えます。
 
 未曾有の国難にある、と言われるにはわりには何だか軽い。
 こんなときに必要なのは、武田信玄とか上杉謙信とか徳側家康とか、全知全能を持って戦を指揮できる能力を持つ「独裁者」であり、それでいながら領民を愛しむ統治力です。
 一時的措置ではあるものの、強い意志を持って指導力を発揮する総司令官が必要です。
 文民統制である日本において、それは誰なのか自ずと知れようものでしょう。
 
 平時にそんな権力を持たれたらたまったのではありませんが、そして個人の野望からそんなことが始まってもいけません。 が、しかし・・・今は「震災」という敵から、住民をあるいは国民を解放しなければならない。
 総大将がその器にないのなら、幕僚を活かさなければなりません。
 
 方法論はとにかくも、今、私たちが戦闘状態にある、戦争をしている、勝つためには作戦を立てて遂行して行かねばならない。
 もちろん、このご時世に家康や信玄を期待すべくもありません。 
 しかし・・・そういった認識が為政者に必要なのではないでしょうか。

 丹沢表尾根に雪がべったりと付いていた。
 今週末は今季最後の雪の丹沢を計画した。
 そして山から帰ったら、テレビで浦和とG大阪の試合を観る目論見だった。
 
 それで金曜日には昼前に食料(といっても行動食だけど)も用意した。
 そして午後は企画書を作成するべく、PCに向かって写真の加工作業をしていた。
 すると、PCのディスプレイが横に揺れだした。
 地震? とおもったらその揺れがどんどん大きくなる。
 それに続いて部屋中が揺れだした。
 鉄筋コンクリートのマンションがこんなに左右にグニャグニャ揺れていいの、とおもうぐらいだった。
 
 壁から時計が落ちて、キャピネットの扉が開いて、本が落ちた。
 ついに来るものが来た、とおもった。
 相模湾を震源とする大地震だ。
 となればそのうちPCも宙にを飛び、キャビネットも倒れて部屋中に本が散乱するだろう。
 そう覚悟したときに揺れが収まった。
 
 すぐにテレビを点けたら、東北沿岸の津波情報を流していた(ような気がする)。
 キョトンとした。
 三陸沖と関東地方と同時に地震が起こったのかとおもってしまった。
 だって、はるか東北を震源にする地震で、神奈川県南部があんなに揺れるものかとおもったからだ。
 それでもう1度テレビをよく見たら、関東地方も東北沖を震源とする地震で広範囲にそして大きく揺れたのだった。しかも最大震度は7だった。さらに今まで聞いたことのない「大津波警報」がでていた。
 すぐに家人にメールしたがすでにもう不通で送ることが出来なかった。
 
 こりゃえらいこっちゃ、とおもってしばらくテレビの情報を見ていたら、すぐにまた家がひしゃげるような強い揺れが来た。もうカンベンしてくれよーとおもいつつテレビを見ていたら、大津波の様子が映し出された。
 大津波のライブ中継なんて初めてなんじゃないだろうか。
 
 と、外で津波警報に関するサイレンがなり、ボロスピーカーが何かをがなりたて始めた。
 沿岸の住民への避難勧告だという。
 沿岸ってどこ? ここは海から1kmぐらいのところだけど、ここも沿岸?
 え、どうすんの、どうすんの。
 
 テレビでは凄まじい津波の様子を写していて、しかも内湾だけでなく農地のような広い平野にまで海水が浸入していた。
 神奈川県南部の海岸も、相模湾を震源とする大地震の度に大きな津波に襲われた記録があって、鎌倉大仏も本当はお堂があったのに、津波で流されてオープンエアになったのだ。
 ということは震源が遥か遠くとも、震度7を記録するような巨大地震だから神奈川県南部の海岸にも、東北沿岸のような津波が押し寄せても不思議はないのだった。
 
 といっても、どこへ避難していいのかわからない。
 避難場所とやらを調べたら、家よりも海に近いのだから話にならない。
 でもまあ、ここはマンションの上階だし、ここまで水が来ればさらに上に行けばいいや、なのだった。
 それでとりあえず山に持ってゆくはずの、水やら行動食やらの入ったザックを足下に置いてまたPCに向かったが、小さいかもしれないけれど揺れる揺れる、余震で17:30頃まで揺れっぱなしでもう酔ってしまいそうだった。
 
 結局、津波は来なかったけれど、北海道から神奈川県までの広い範囲で大きな被害が出たことがわかった。
 Jリーグも中止になった。
 山なんかへ行っている場合でもない。
 
 というわけで週末はどこもでかけることなく在宅で過ごした。
 大阪や名古屋の知人からいくつかの地震に関する問い合わせもあった。
 こちらからも仙台の知人に電話したいところだが、不要不急の電話のような気がするし、きっと通じないだろうし、で明日以降にするつもりだ。
 しかも、さらには「チャイナ・シンドローム」だ。
 
 亡くなられた方には心からご冥福をお祈りし、行く方のわからない方々のご無事を願い、避難されている方々の速やかなるご帰宅を願い、被災地の1日でも早い復旧・復興をお祈りしています。

 Jリーグが始まった。
 コアなファンのように待ちに待ったというほどでもないけれど、やはり嬉しい。
 スタジアムまでは足を運ばないもののテレビ観戦する。
 
 まずは名古屋-横浜Fマリノス。
 日本サッカーリーグ時代は日産を好ましくおもっていたこともあったけれど、今は名古屋を好ましくおもっている。だから名古屋を贔屓しながら見ていたのだが、先制点は横浜だった。
 名古屋はすぐに追いつくとおもいきや、中々点がはいらない。
 とうとうロスタイムに入ってしまった。
 名古屋はスーパーカップは引き分け(PK勝ち)、ACLはアウェイで大敗(といっていいのじゃないか)、でJリーグの開幕戦でも負けかいな、名古屋はどうしたんだろう。
 
 とおもったときに、永井がビュッと前に出た。
 ビックリした。
 凄いスピードだった。
 たまらず横浜のディフェンダーが後からつかんで倒してしまった。
 PKだ。
 これで最後の最後に名古屋が追いついて引き分けとなった。
 
 ファンも含めて横浜の関係者は名古屋と引き分けた気がしないだろう。
 名古屋に同点にされたというよりも、永井ひとりに同点にされたという気分なのではないだろうか。
 
 永井を倒したディフェンダーの気持ちが凄くよくわかる。
 もし永井がGKと一対一になっても点が入ったかどうかわからない。
 でも、一気に抜かれてしまった悔しさと責任感と、ゴールされる危機感と・・・
 
 片方では川崎-山形。
 15:00~16:00は2試合が重なったから忙しかった。
 そしてここは川崎を贔屓する。
 川崎には今年こそ、何らかのタイトルを取らせてあげたいのだ。
 
 ただ監督が替わってどうなるんだろう。
 そんな心配がなくはなかった。
 しかし山形とのゲームを観ていたらモノが違うな、という気がした。
 そしてカウンターから2点を取って、後半は何点取るのだろうということが興味だった。
 
 が、後半になると山形も押し返してきた。
 モノが違うなどとおもったのは失礼だった。
 それでも山形が0敗してしまったのは決定力の不足と、そして川崎と違ってケンゴと稲本がいなかったことだろう。
 とにかく川崎がホームで好いスタートを切れてよかったな。
 
 大阪ダービーは遠藤が決勝点を奪った。
 遠藤という選手はヌラリホンとしているように見えて、どうも好きになれないのだけれど、やるときはもの凄くやるのでビックリしてしまう。そんならいつもヤレよなんておもったりもする。
 
 その他僕が気にしている福岡と甲府は負けてしまった。
 小野と高原が揃って期待されている清水も昇格してきた柏に大敗だった。
 今日は僕が最も贔屓にしている浦和の日だけれど、あたらしい監督の下、開幕で勝てるのだろうか。

昨年の8月から大きな話が浮上しては消えてゆく。
自分も山っ気が多いし、どうしても大きな話には眼が眩んでしまって、力を傾注してしまう。
それで地道な活動を忘れてしまい、蜃気楼が消えるともう何も残っていない。
だから毎月合いもかわらず赤字が続いてしまう。
 
2月はふたつの大きなチャンスがあった。
大きな話ではないし、両者とも受ければそれにかかりきりならなければならないから、他のことは出来なくなるけれど安定はする。
しかしそれじゃおもしろくないとおもった。
しかも両者を天秤にかけてしまった。
だから迷いが生じてしまった。
そこを相手にみすかされたのだろう、両方ともダメになってしまった。
 
2月も大赤字だし、そのどちらかでもものにしていれば3月は安泰だったのにその間の種まきを忘れたから、この先3月も4月も苦戦が続くだろう。
やはり仕事も山登りのように、立案した計画を一歩一歩着実に進めて行かなければならないのだ。
そのことは若いときの山登りで充分わかっていたのに、この歳になってそれを忘れるなんて。
原点に返らなければならない、と強くおもった2月であり、3月は着実な一歩を踏み出さなければならないだろう。
 
 

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