テイザニストもろーの山歩き

山歩き歴50年、今は低山を中心に歩いています。

2011年02月

 私が花粉症を「発症」したのは1979年のことです。
 春先、その頃の職場にアルバイトに来ていた女性が、鼻の周りや目の周りを気にしているので「花粉症ですか」と聞いたらそ「そうです」と答えました。
 ああ、噂に聞いていた花粉症なんだあ、とおもったもののそれは他人ごとでした。
 
 ところが・・・すぐに自分が発症してしまったのです。
 鼻の周りが痒い眼が痒い。
 その痒さはこれまでに経験のない、ジワジワしたものでした。
 つまり「エーイ痒い、バリバリ掻いてやれ」で終るのではなくって、内面から後から後から痒みが出てくるというような感じでしょうか。
 
 花粉症、その後どんどん進行して行って、痒い、クシャミは止まらない、涙も止まらない。
 1980年代後半から1990年代前半はもう春先になると、クシャミや涙でクルマは危なくて運転できず、花見にも行けず、とにかく春先は外に出るなという状態でした。
 大体花粉症は熱は出ないからそこが風邪と違うなどと言いますが、クシャミばっかりして、そのおかげでイライラして、なんて日々を送ると、因果に関係なく熱のひとつも出るというものです。
 
 ところが、意外なことから花粉症が改善されてしまいました。
 
 当時私は太っていました。
 で、太ることによって起こる病気一歩手前か、あるいはもうその領域に踏み込んでいると診断され、カロリー計算による食事摂取を義務付けられました。
 すると自然とカロリーの少ない食物が増えることになります。
 それまでの好物だったオイリーなものや肉が遠ざけられ、野菜中心、高野豆腐、しいたけ、わかめ、コンニャク、竹の子、玄米・・・。
 
 酒なんて飲んじゃいけないのだけれど、でもこれは止められないから、それまでのビールとウィスキー等スピリッツ系から日本酒熱燗になり(そうすると自然にオイリーなものから遠ざかる)、おやつもケーキから和菓子にし、するうちに3ヶ月で15kgも体重が減りました。
 81kgから66kgです。
 
 減量は夏のことだったのですが、秋が来て冬が過ぎ、そして春が来て・・・
 今年も花粉の季節がやってきました、とおもっていたら、ありゃまどういうわけか花粉症が出ない。
 1997年のことでした。
 その後も周囲が花粉症でヒーヒーいっているときも平気の平左でした。
 花粉症がないのっていいですね、なんて言われたりするけれど、とんでもないあなたがたよりも酷い花粉症だったんだよと、心の中でつぶやきます。
 
 ところで、仕事上で知り合ったふくよかな女性がやはり酷い花粉症でした。
 彼女は若いときに激しい運動を伴うスポーツをやっていて、それはそれは大量のカロリーを摂取しなくてはならなかったようですが、スポーツを止めたあとも高カロリー摂取を続けたためにどんどん体重が増えていったのでした。
 
 私は彼女にその酷い花粉症は食生活を改めて、そして体重を減らすことによって改善されるかもしれないよとアドバイスしたのですが聞き入れてもらえませんでした。
 ところが、やはり彼女も健康上の問題で体重を減らさざるを得なくなりました。
 つまり私と同じで、食生活を変えることになったのです。
 
 とどうでしょう、私のアドバイスどおり彼女の花粉症は見違えるように軽減されたのです。
 完治というわけではないかもしれませんが、「苦しい」という状態からははるかに解き放たれたのです。
 
 食生活や減量によっての花粉症改善は、私を含めて2例しかありません。
 だから減量の必要のない人、すでに食生活が低カロリーである人、にもかかわらず花粉症である人には当て嵌まりません。
 でも、もし私の過去と同じような食生活、脂肪分やオイリーなもの、ビールやスピリッツ系のアルコールを好人、それで花粉症にも苦しんでいるとすれば、食生活を変えて、そしてウォーキングなどしてみたらいかがでしょうか。
 要するに体質改善なのだとおもいます。
 とにかく改善された本人の証言です。
 偶然がなせる業で科学的根拠はないのですが、苦しいぐらいの花粉症なら試してみる価値はあるとおもいます。

 名古屋へ行った。
 名古屋は万博の前後はえらく景気の良さがみなぎっていた地だ。
 だけどひとたび自動車メーカーの不調が伝えられると、たちまち不景気感がただよった。
 そしてそれが少しづつ回復傾向にあると聞いていたけれど、今回の名古屋行きでお話した人は「まだまだ還流が届いていない」という。
 
 今回、1件から京都の企画が持ち上がったけれど、京都に1年間いて、たったそれだけの報酬ですかい、ちょっとちょっとぉ。
 なんだけれど、即座に断れずに「考えましょう、へ、へ、へ」なんて言わざるを得ない現在の状況がつらい。
 
 今回、北区の速攻「はい、お待ちぃ」のうどん・そばの店に連れて行かれたのだけれど(きしめんではない!)、これが中々うまかったのであった。
 
 
 

11日、12日と関東地方は大雪になるはずだったけれど、少なくとも南部では大した雪ではなかった。
がしかし、テレビのニュースでの箱根の映像は充分に「大雪」だった。
ということは丹沢だってけっこうな積雪に違いない。
昨年も同時期に行って軽い「雪山」が楽しめたのだ。
ワーイワーイとばかり表丹沢県民の森駐車場へ向かう。
と、りゃりゃりゃ、同じことを考えている人はいるものだ。
凍った林道にクルマの列、駐車場も7時の段階で満車だ。
もちろん林道の端にクルマを駐める。
歩き始めの林道ですでにこの雪。
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これは期待できそうだ。
実際、二俣から小丸へ向かう尾根は取りつきからすでに積雪だった。
だから軽いラッセルが必要だった。
そして忘れていたけれど、積雪の登りはつらい。
通常とは違う力が加わるのか、問題の腰が痛くなってきた。
それでも何とか小丸に到着。
小丸から塔ノ岳への尾根。
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まだあまり人が歩いていなかったので、踏み跡程度のトレース。
ちょっとした「雪原」で嬉しくなる。ワカンが欲しくなった。
静かな雪の尾根を歩いていると腰のつらさも忘れて気持ちが好い。
塔ノ岳も間近だ。
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ただ大丸付近でさすがに腰に違和感があってベルトを巻いた。
そんなわけで最後の登りはけっこうつらかった。
塔山頂直下はこんな感じ。
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しかし期待した塔の頂上はそれほど大した積雪ではなかった。
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けれども何といっても風もなく穏やかで暖かだった。
景色もすばらしく富士山は当然としても、甲斐駒から聖までの南アルプスに八ヶ岳。
相模湾に東京湾、三浦半島に房総半島。
東京に横浜、もちろんスカイツリーも。
そしてはるかにあh筑波山。
重い一眼レフは持ってこなかったので写真はないけれど、眺望をしっかりと脳裏に。
雪を被った丹沢主脈方面がいつもにも増して立派だった。
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それにしても人が多い。
春の八ヶ岳のようだ。
臨時バスが出たような話も耳にする。
 
小丸まではまた静かな尾根歩きになった。
腰の状態がよくなさそうなので小丸で下ろうとおもったけれど、去年もそうだったようにこの北八ヶ岳を思わせるような積雪の尾根をもっと歩きたく、鍋割山まで足を延ばす。
小丸~鍋割はもう充分にトレースが付けられていて、快適に歩く。
とにかく穏やかだった。
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鍋割山頂も塔山頂同様沢山の人。
人が多いので雪が融けたのかとおもえるほどだ。
イメージ 7
 
往路は朝早かったせいもあり、取り付きから充分な積雪だったけれど、鍋割からの下山ではすぐに雪がなくなりぐちゃぐっちゃの道になった。
なにしろ人が多く、そして気温も高かったので(半袖の人もいたぐらいだ)どんどん雪が融けているようだった。
それでも、日陰の駐車場(路上だけど)に戻るとクルマの外気温は2度Cだった。
それなりに寒かったのだ。
 
昨年は思いがけずもけっこうな雪に恵まれ、今年は降雪直後だったからさらにと期待したけれど、そういった意味では少し期待はずれだったかもしれない。
でもそれは期待が多すぎたからであって、充分するぎるほどに「雪山」を堪能した1日だった。

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